ソーマデーヴァ 著 上村 勝彦 訳 平凡社 刊
暗黒の夜、紫檀の樹にぶら下がる死骸と夜通し問答する王の物語
肩にかつぐと、勝手に物語を語り始める。話が終わったら、質問に答えろ、さもなくば頭を砕くぞと脅してくる。
挙げ句の果てに、答えを聞いた途端、また樹に戻って一からやり直し。世にもふてぶてしい死骸と、果てしなく辛抱強い王の行く末は?!
勇者として名高い王トリヴィクラマセーナは、10年間も日参した修業僧の頼みをきいてやることにした。待ち合わせに指定されたのは、黒月の第十四日の夜(新月前夜)、大墓地のバニヤンの樹の下。そこで曼荼羅を描いていた修行僧は、シンシャパー樹(紫檀) にぶら下がる男の死骸を運んで来るよう王に頼む。死骸には屍鬼ヴェーターラが取り憑いており、木から落とすと、泣いたり笑ったりして不気味なこと極まりない。王がいっしょに行こうと話しかけると、なぜか樹の場所に戻ってしまう始末。再び死骸を肩にかついで王が歩き始めると、今度は勝手に物語を語り始め、ずうずうしくもこんなことまで言い出した。
この物語に関する俺の疑問を解いておくれ。
(中略)
あなたは知恵者のうちでも最上の人だからね。王よ、もしあなたが知っていながら真実を述べない場合は、あなたの頭は必ずや百に砕けてしまうよ(「屍鬼二十五話: インド伝奇集 (東洋文庫 323)」本文より引用)
王が一晩をともに過ごす相手は美女でなく屍鬼
王は、正直に正しい答えを言うと、死骸は瞬時にして消えた。またしても樹に戻ったのだ!再度死骸を肩にかついで歩き始める王。すると悪びれずにまた話しはじめる。
王様、大そう難儀なことですなあ。あなたにはふさわしくないことです。そこであなたの気晴らしに物語をしてあげよう。聞きなさい
(「屍鬼二十五話: インド伝奇集 (東洋文庫 323)」本文より引用)
勝手に物語を聞かせて、質問を投げかけ、答えなければ頭を砕くと脅し、望み通りに答えたら姿を消してまた振り出しに戻る。なんて無茶な話だろう!
それにしても、本来ならば美女と情熱的な夜を過ごせるはずの王が、死骸に取り憑いた屍鬼と一晩を過ごすだなんて、これは何かの罰ゲーム?!そもそも屍鬼の魂胆は何?!果たして王は死骸を無事にパニヤンの樹に連れていけるのか?!
まるで現代のRPGもびっくりの奇妙奇天烈な展開で続く25篇の物語が『屍鬼二十五話』だ。2017年にリリースされたタミル語犯罪サスペンス映画『ヴィクラムとヴェーダー』と、2022年に公開されたヒンディー語リメイク作品『ヴィクラムとヴェーダ』は、本書に着想を得たもので、インド国内外で大きな話題呼び、どちらも日本でも上映された。
『屍鬼二十五話』は、11世紀、インド北部カシミールの詩人ソーマデーヴァが、今は失われた古代インド大説話集『ブリハット・カター(大いなる物語)』を簡略化し、サンスクリット語で記した『カター・サリット・サーガラ』の一挿話で、”vetālapañcaviṃśatikā(ヴェーターラ・パンチャヴィンシャティカー)“とも呼ばれる。つまり、この枠物語自体も、大きな物語の入れ子になっているのだ。ちなみに、『ブリハット・カター』は、紀元前三世紀頃、グナーディヤが、鬼神(ピシャーチャ)の言葉を意味するパイシャーチー語で書いたとされる書物である。
訳者であるインド古典文学研究者の故・上村勝彦氏の解説によると、ソーマデーヴァはカシミールのアナンタ王の息子カラシャ王の母スーリヤマティーを慰めるために本書を含む『カター・サリット・サーガラ』を著したという。
一話一話が奇想天外というだけでなく、屍鬼の質問はなかなかの難問だから、スーリヤマティーも心配事を忘れて物語に夢中になったのではないかと想像した。そうであってほしい。
頭と胴体、マダナスンダリーの夫はどっち?
たとえば、第六話の「すげかえられた首」の質問は、究極の選択の類いになるだろうか。
新婚のマダナスンダリーは、夫と兄がそれぞれ自分の首を斬って息絶えているのを発見する。絶望して自分も後を追うつもりが、女神ガウリーが現れ、二人を再生させることを約束する。ところがマダナスンダリーはあまりにもあわてていて、夫の頭に兄の胴体、兄の頭に夫の胴体を継ぎ合わせてしまったのだ!
屍鬼は王にこう問いかける。
そこで王様、答えなさい。このように混同した二人の男のうちで、どちらが彼女の夫でしょうか。もし知っていながら答えなければ、前に言った呪いがあなたにかかるよ
(「屍鬼二十五話: インド伝奇集 (東洋文庫 323)」本文より引用)
さて、我らが王はどう答えたのか。あなたはどう答える?
私なら…うーん。これはどっちをとっても…。
トーマス・マンは、この話の設定を変え、さらに内容を大きく膨らませた『すげかえられた首』というエロスにあふれた作品を書いている。ゲーテもインスピレーションを受けたようだ。
暗黒の夜にふさわしい1冊
『屍鬼二十五話』にはさまざまな伝本があるが、ソーマデーヴァ版が文学的に最も優れているという評価だ。本書には、別のサンスクリット伝本の3話も含まれていて、そのうちの一つ、「二日目に彼女を抱くのは誰か」はとても印象に残った。10万ルピーを払えば誰とでも一夜をともにするけれど、次の日には一億ルピーもらおうと決して遊ばないという謎のポリシーを貫く美女、遊女ルーパヴァティーの話だ。
インドの物語というと、一般的には自由恋愛はご法度的な印象が強いが、このように性的な話も開放的に語られるのが本書の特徴の一つであると感じた。実際、古代インドの性典として知られる『カーマ・スートラ』を西洋に紹介した19世紀の冒険家リチャード・バートンが、本書を見逃すはずもなく、彼が手がけた “Vikram and the Vampire(ヴィクラム王と吸血鬼)”は、英語圏で最も有名な『屍鬼二十五話』になっている。といっても、『カーマ・スートラ』と同様に、訳本というより本書を「ベースにした」あくまでバートン版の物語らしい。
そして、バートンといえば、『千夜一夜物語』が有名だが、『屍鬼二十五話』の枠物語形式に影響を受けた作品の一つとされる。それが『デカメロン』などヨーロッパの文学作品に伝播していくことを考えると、すべては鬼神の言葉で語られた失われた書物の魔力にも思えてくる。
さて、今夜は黒月第十四日(月が欠けていく半月の14日目。本書に大きく関わるシヴァ神にとって吉祥な月暦日とされる)、つまり新月前日。暗黒の今宵に『屍鬼二十五話』を読んでみませんか?
果たして王と死骸はバニヤンの樹に無事に辿りつけたのでしょうか?
著者紹介
ソーマデーヴァ
11世紀のカシミールの宮廷詩人。シヴァ派のバラモンの家に生まれ、カシミールのアナンタ王と息子カラシャ王に仕えた。カラシャの母であるスーリヤマティーを慰めるために、11世紀後半に20年にかけて『屍鬼二十五話』を含む説話集『カター・サリット・サーガラ』を著したと伝わる。
写真情報:Bijay Chaurasia, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons
シンシャパー樹(Dalbergia sissoo)の林。インディアン・ローズウッド、本紫檀として知られる。