オ・セヨン 著 桑畑優香 訳 すばる舎 刊
「成功したオタク」とは? アイドルオタをおそった悲劇と、その魂の記録
推しがある日、犯罪者になった。K-POPアイドルの熱狂的なファンだったオ・セヨンは、戸惑い、苦悩する。私は、どうすればいいのか? そして、他のオタ仲間たちは、どうするのか?
本書はオ・セヨン監督がドキュメンタリー映画『成功したオタク』を制作しながら正直な気持ちを吐露した日記と、オタク仲間たちなどへのインタビュー、映画の撮影日誌で構成されるノンフィクションである。
事件の顛末とファンたちの揺れ動く心情
2019年3月21日、韓国人アイドル歌手のチョン・ジュニョンが女性との性行為を盗撮し、動画をグループチャットで共有したとして逮捕される。その後、一審、二審を経て2020年5月12日に集団性暴行罪での有罪判決が確定し、懲役5年を言い渡された。
チョン・ジュニョンについては2016年にも同様の疑惑が浮上していたが、原告が告訴を取り下げ、当時この疑惑を報じた記者は激しい非難にさらされた。著者は、この記者とも連絡を取り、謝罪しインタビューを行っている。
チョン・ジュニョン含め、複数のK-POPスターの検挙につながった「バーニングサン事件」について調べてみると、集団性的暴行、売春あっせんなど、おぞましい記述がいくつも見つかる。むろん、ファンたちも目にしたことだろう。
「オッパ」(韓国語で「お兄ちゃん」の意味。血縁関係のある兄以外に、彼氏や推しの男性を呼ぶときにも用いられる)と慕っていた推しがいきなり犯罪者になる。彼らのために思春期の大半を推し活に捧げてきた若き女性たちの心情を思うと、心が苦しくなる。
驚くことに、著者と彼女のオタ活仲間だけでなく、母親世代も「オッパ」に似たように裏切られた経験を持つ。セクハラ疑惑を報じられた韓国人俳優は、警察の取り調べを受ける直前に自ら命を絶った。
犯罪者になってしまった元推しとの決別を決意し、それでも思い出を捨てきれず、彼の誕生日に苦しい胸の内を吐露する。
死なないで、死なないで生きて、すべて返して。
(「成功したオタク日記」本文より引用)
読み応えのあるインタビュー
とはいっても、本書をとりあげるにあたっては、コミカルな部分にもぜひ目を向けてみたい。たぶん、著者のキャラクターなのだと思う。初めて映画制作に挑む若き女性の葛藤と奮闘、仲間のオタクたちに、時にクスリとさせられる。
知り合い同士で、元推しがそれぞれ犯罪者だと判明したことをパッチワークに例えたり、アルバム1枚の値段がチキン1羽と同じで、これからはお金がもったいないからチキンを買うと言ったり。
そんなペーソス漂うユーモアも含め、特に、中盤のインタビュー集はかなり読みごたえがあり、考えさせられる内容になっている。映画ではカットされている部分も収録されているという。
「成功したオタク」、「失敗したオタク」とは?
正直にいうと、私には推しはいないし、推し活をしたこともない。自分の趣味と嗜好に合うものを集め、愛でることを愉しみながらも、けっして自分らしさを手放さないエゴイスト、それが私。著者とは正反対の人間だ。
オタ活の何たるかを知らない私に、オタクとしての成功と失敗を判定する資格はない。本と映画のタイトルにもなっている「成功したオタク」とは、推しに存在を認知されたオタクなのだという。
私が言えるのは、オ・セヨンは「大丈夫なオタク」だということ。推しが犯罪者になったからといって、ファンに非があるはずもない。彼女は映画製作を通じて、自分のこれまでの旅を見つめ直し、オタ仲間と語り慰め合い、再生への道を歩もうとする。そんな彼女は、きっと大丈夫。
それなりに長く生きている人間なら分かることだが、人生に黒歴史はつきものだ。一部が黒いからといって、すべてが真っ黒なわけではない。ダメージは大きかったが、それまでのオタ仲間や家族との思い出や絆は消えない。すべてを忘れなくていい。いい思い出はそのまま大事に持っていていい。これはオタ活に限らず、人生全般に言えること。
計らずして犯罪者を応援してしまっていたと知った時の驚きと落胆、怒り。元推しが犯した犯罪を憎みながらも、それまでの思い出やグッズをなかなか捨てきれずにいる自分自身への戸惑い。この微妙な心持は、映像ではどのように表現されているのか。ぜひ映画も見てほしい。
著者紹介
オ・セヨン(오세영)
1999年、韓国、釜山に生まれる。2018年に韓国芸術総合学校映像院映画科に入学し、在学中に制作した長編映画『成功したオタク』で映画監督としてデビュー。『成功したオタク』は釜山国際映画祭ドキュメンタリー・コンペティション部門、大鐘賞映画祭最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされ、韓国で多くの観客を動員した。日本では2024年3月に劇場公開。