チョン・セラン 著 斎藤 真理子 訳 亜紀書房 刊
韓国ニューウェーブの旗手が放つ、ホラーファンタジー小説
怪異と戦う女性養護教諭の活躍をポップに描く、チョン・セラン作のホラーファンタジー小説。Netflixでドラマ化もされ話題を呼んだ。
韓国、ソウル。私立M高校に養護教諭として赴任したアン・ウニョン先生は、今日もおもちゃのBB弾の銃とレインボーカラーの剣を手に、邪悪なぐにゃぐにゃをぶった切る。小さいころから、見てはいけないものが見えてしまう。看護師から転職し、せっかく安泰な職場を見つけたと思ったのに、この学校には、何かがいる……。
ポップとホラーのミックスを楽しむ
10のエピソードで構成される物語は、ときに過去に遡り、アン・ウニョンという人物の姿を浮き彫りにするが、彼女が脇役でしか登場しない回もある。
現代の話でありながら、古の自殺の名所になっていた池が登場したり、韓国伝統の飾り結び(メドゥプ)を問題解決に活用するエピソードもある。この辺り、ハイテク機器を活用しながらも、昔ながらの因習と伝統が今でも日常生活に息づいているアジア文化圏共通の面白みだろう。
さらにそれをカラフルなゼリーと結びつけてみせるのが、チョン・セランのユニークさだ。
悩める青少年へのメッセージ
本書を読んでいて、中高生の時に愛読していたコバルト文庫を思い出した。作風的にはライトノベルなのかもしれないが、そこに込められているメッセージは一般的なジュブナイルものより深い。が、重くはない。思春期から青年期にある多くの人が直面するであろう困難と、それに対する見解と対処法を著者なりに提示している。
例えば、主人公が中学校の同級生、キム・ガンソンから折りたたみ式のおもちゃの剣とBB弾の銃を渡され、こう言われる場面。
「道具を使うんだよ、この間抜け」
「あ」
「傷ついてないで、軽やかに行け! ってことだよ」
「はあ」
「コミカル、セクシー、ハツラツ? まあ、セクシーは無理だろうけど」
(「保健室のアン・ウニョン先生」本文より引用)
ここから、幼少時からの「見えてしまう」陰キャラから一転、魑魅魍魎と軽やかに戦うお姉さん、アン・ウニョンが誕生する。
出口なんてないと思えるようなネガティブ思考の沼に沈んでいる自分を、誰かの一声が引き揚げてくれる時がある。それは友達だったり、教師だったり、親だったり、はたまた別の、普段はあまり関わりのない誰かであったりするかもしれない。
物語に込められた真実と快楽
また、人間は本来、清濁併せ持った存在であるという真実も如実に語られている。M高校の生徒たちがその年頃の少年少女らしい悩みを抱えているのはもちろんのこと、教師たちも内面に悶々としたものを抱え、それに怪異や不思議がからんでくる。ウニョンの「バディ」である漢文教師のインピョも、学校の経営者一族の一人という恵まれた星の下に生まれながら、バイクの事故の後遺症で足を引きずっている。
そうすると、まったく一点の曇りもないように見える人間が逆に怪しく見えてくる。それがネイティブ英語教師マッケンジーであり、インピョのお見合い相手の女性だ。
人間の魅力とは、その人の持つ弱さや影、不完全さにも宿るものなのである。顔や身体の造作に違いがない前提ならば、金持ちで高学歴、なんの苦労もなく生きてきた人間よりも、不幸な生い立ちを背負って苦労してきた人間のほうがより魅力的に映る。
ただ、深く考えなくても楽しめるのが、この作品のいいところ。
私はこの物語をただ快感のために書きました。一度くらい、そういうことがあってもいいんじゃないかと思いました。ですから、ここまで読んできて快楽を感じられなかったとしたら、それは私の失敗ということになります。
(「保健室のアン・ウニョン先生」あとがきより引用)
と著者自ら語るように、チョン・セランという作家がただ思いに任せて綴った物語を、心のままに愉しむというのがいいのかもしれない。
読書とは、お勉強のためにするものではなく、自分が生きる世界とは他の次元に「飛ぶ」快楽なのだから。
著者紹介
チョン・セラン(정세랑/鄭世朗)
1984年、韓国ソウル生まれ。出版社で編集者として勤務した後、2010年に発表した『ドリーム、ドリーム、ドリーム』で小説家としてデビュー。『保健室のアン・ウニョン先生』がNetflixで『保健教師アン・ウニョン』としてドラマ化された際は、シナリオも手がけた。『アンダー、サンダー、テンダー』でチャンビ長編小説賞、『フィフティ・ピープル』で韓国日報文学賞を受賞。