温又柔 著 集英社刊「来福の家」収録作
日本に暮らす台湾ルーツの若者の恋と成長の物語
呼び名が変わるだけで、ひとは世界が一変したような思いをすることがある。これはそんな現象について語った一種の「名前小説」だ。
「好去好来歌(こうきょこうらいか)」の主人公の名前は楊縁珠。台湾出身の彼女は3歳の時に両親とともに日本に移住し、以来、18の今まで東京で暮らしている。台湾にいたころの彼女は中国語でヤン・ユアンジュと呼ばれていた。それが日本に来た途端、日本語読みの「よう・えんじゅ」に呼び名が変わった。当初は幼稚園でも言葉がまるで通じず、辛い思いもした縁珠だが、時につれ日本語を自在に操るようになり、ついには日本語しか話せなくなる。
外国人を自覚する瞬間
もはや一見、日本人とどこも違いがなくなった縁珠だが、生活のなかで時おり、まわりのみんなとは違う外国人であることを自覚する瞬間に出くわす。
たとえば中国風の名前をからかわれる時。
家に遊びに来てくれた大切な友だちの前で母親が「ちゃんとした日本語」を話せないことを恥ずかしく思う時。
クラスメイトが彼女のそれとは表紙の色が異なる日本のパスポートをひどくぞんざいに扱うのを見た時(縁珠の家ではパスポートは「重要書類」と呼ばれ、金庫に大切に保管されていたので驚いたのだ)。
台湾の祖父母(日本の統治下、上級学校に進むためには日本語を身につけることが必須だった世代だ)の家を訪れ、みんなから台湾語で「リップン・チャボギャア(日本人の女の子)」と呼ばれ、特別扱いされる時。
アイデンティティの揺らぎ
そうした時、ふたつの国(日本と台湾)と3つの言葉(日本語と台湾語と中国語)の狭間で生きる彼女の心に波が立ち、アイデンティティが頼りなく揺らぐ。
「好去好来歌」はそんなひとりのマイノリティとその周囲の人々の心理を視覚的かつ聴覚的に非常に鮮明に描きつつ、台湾と日本というふたつの国をも語る魅力的な中篇小説だ。
聴覚的といえば、作者のオノマトペの使い方も活き活きとしていて素敵だ。たとえば縁珠の日本人の恋人、麦生(むぎお)が彼女の家に招かれて、彼女の母親の手作り水餃子を食べる場面。
フウフウしてね、と母は言う。母の発音したフウフウが、日本語というよりも、フウフウ、という同じことを意味する台湾語であるのに縁珠は、しまったと思うが麦生にはちゃんと日本語のフウフウと聞こえたらしく、れんげで掬った餃子にフウフウと息を吹きかける。フウフウののち、麦生は、一口で食べてしまった。麦生がモグモグと口を動かすのを、縁珠と縁珠の母が見守る。ゴクン。麦生は呑み込む。それから、
「おいしいです!」 びっくりするほどの大声だった。
(「好去好来歌」本文より引用)
フウフウ、モグモグ、ゴクン。まったくこうして書き写すだけで、今すぐ水餃子が食べたくなってしまうではないか!
新しい名前で変わる世界
考えてみれば縁珠のように外国ルーツでなくても、学校や職場が変わったり、引っ越しをしたりして、新しいあだ名や新しい呼び名で呼ばれるようになり、生まれ変わったような気分を味わったことのある読者は多いのではないか。
あるいは名前は変わらなくても、自分の名前を呼ぶ相手によって聞き慣れていたはずの名前の響きが大きく変わり、良くも悪くも新しい自分になれた(なってしまった)気がした、という経験をしたひともいるだろう。
たとえば本作にも、麦生に抱かれた縁珠が彼のささやく「えんじゅ」という名前をまるで呪文のようだと感じる場面がある。
縁珠には、麦生がそうしながら囁くときの、えんじゅ、というのが自分の名前ではなく、何かおまじないのための呪文のように思える。麦生は繰り返す。えんじゅ、えんじゅ。縁珠は目をつむる。瞼(まぶた)の裏で見つめる。麦生の吐息とともに、えんじゅ、が、縁珠の耳の穴をとおって、縁珠の中に滑りおちるのを、じっと見つめる。ちゃぷん。からだのそこには水溜まりがあった。えんじゅ、はそこに落ちて溺れる。
(「好去好来歌」本文より引用)
ちなみにこの麦生(むぎお)という縁珠の恋人の名は本名ではない。ビールの香りがした彼とのファーストキスにちなんで、彼女がつけたあだ名だ。
麦生。彼女がその名を彼に囁くと、彼の本当の名前——彼が、自分のものだと信じ続け、そう呼ばれることに慣れ親しんできた名前——はすうっと遠のいた。
(「好去好来歌」本文より引用)
つまりふたりは互いの「新しい」名前によって結ばれ、ある意味、生まれ変わったのだ。
温又柔という作家
そんな麦生との恋を通じて変わっていく縁珠の日々を描いた本作は、台北出身の作家、温又柔(おん・ゆうじゅう)のデビュー作だ。温自身、作中の縁珠と同じく3歳の時に両親とともに台湾から東京に移住しており、主人公の来歴にはその実体験が色濃く反映されているようだ。
私が温の存在を知ったのは確か、彼女がゲストとして招かれた小泉今日子のポッドキャスト番組「ホントのコイズミさん」だった(登場回 前編、後編)。
外国ルーツのマイノリティの代表者を気どり、日本社会の外国人差別を断罪する――そんな大上段に構えた声とはまさに正反対の、とても控えめで柔らかな語り口が魅力的だった。
温が近作の紹介にからめて語っていたのは、外国ルーツの「みんな」の話ではなく、あくまでも彼女自身と身の周りの話だった。幼い頃の自分と同じような立場で悩んでいる子どもたちが読んで少しでも楽になれるような作品が書けたら、という言葉も印象に残り、この作家は信用できると思った。まだ一作しか読んでいないが、はたしてその直感は裏切られることがなかった。
今後も温又柔から目が離せない。
著者紹介
温又柔(おん・ゆうじゅう)
作家。1980年台湾・台北市生まれ。1983年より日本在住。2009年デビュー作「好去好来歌」(集英社「来福の家」収録)で第33回すばる文学賞佳作受賞。2015年「台湾生まれ 日本語育ち」(白水社)で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。2017年には「真ん中の子どもたち」が芥川賞候補となる。