呉明益 著 天野健太郎 訳 河出書房新社 刊
マジックとノスタルジックな子ども時代の記憶
中華商場という人情溢れる台湾の下町で育った登場人物が子ども時代を振り返る連作短編集。
どの短編にも歩道橋で奇妙なマジックをする魔術師が出てきて、子どもたちはそのマジックの摩訶不思議さの虜になる。魔術師は子どもたちにマジックだけでなく人生についても示唆的な台詞を残す。大人になっても色あせない魔術師との不思議な出会いとそれにまつわる悲しい出来事がノスタルジックに語られ、自分の子ども時代とつい思い重ねてしまう懐かしくも切ない不思議な気分に浸れる作品。
ファンタジーとノスタルジーの共存
舞台は台湾の中華商場。かつての商業施設が次々と立ち退き商場が様変わりする中、商場で生まれ育った登場人物が子ども時代を思い出す。その思い出話には決まって歩道橋の魔術師が出てきて、子ども心に強烈な印象を与えていたことを窺い知ることができる。
そのマジックは確かに魔法のように現実離れしているのだが、楽しく好奇心をそそられるだけでなく、それが原因となってさまざまな苦難が子どもたちの前に立ちはだかる。そんな悲しい出来事にも魔術師はどこか他人事で最後までマジックの種明かしをしてくれない。その摩訶不思議さに子どもたちはますます虜になっていく。
自分の子ども時代は学校が終わってから毎日のように近所の公園に遊びに行ったものだが、そこでの見知らぬ人たちとの出会いは大人になった今でも鮮明に思い出せるものがある。サッカーがずば抜けて上手かった他の小学校の少年、とても親切だったビリヤードをしていた老人たち、非常に入手困難なレアカードを持っていた子どもなど……。
自分の子ども時代に本書で出てくるような魔術師と出会っていたら、間違いなくヒーローだったに違いない。そんな子ども時代の回顧を促すノスタルジー性に現実では起こりえないファンタジー的な要素が組み合わさり、非常に独特な世界観を形成している。
随所に散見される心に残る名言
その独特な世界観以外にも本書の中にはいくつかの「名言」が散りばめられている。
運命とは皮肉なもので、逃げようとすればするほど、それは目の前に現れるし、大事にすればするほど早く壊れる。
(『歩道橋の魔術師』本文より引用)
人生の皮肉や残酷さを教えてくれる一節。人生は紆余曲折するものだが、願望が現実と一致しないことが多々ある。それで夢を諦めてしまう人もいるなかで、挫折をバネにより一層頑張る人もいる。その先の未来は誰にも分からずどちらが正解かは分からないが、挑戦し続けることで人は成長しより豊かな後悔のない人生を送れるのではないだろうか。
君も知ってのとおり、世界には鍵で開けられないものがたくさんある。ただぼくは、鍵は作られたあと、いつかどこかで、それが開けられるものと出会うんじゃないかって、ずっと信じている。
(『歩道橋の魔術師』本文より引用)
運命や出会いの必然さを説いた台詞だと思った。悲喜こもごもの運命を人は引き受けて生きるものだ。自分の努力で引き寄せた運命もあれば、天罰のように思える運命もある。だがどんな運命が降りかかろうとも、他人の運命と比較せず自分なりに強く逞しく生きることが人のあるべき姿のような気がする。
著者紹介
呉明益(ゴ・メイエキ)
1971年、台湾の桃園出身。輔仁大学マスコミュニケーション学科を卒業後、国立中央大学中国文学科で博士号を取得。現在は、国立東華大学の中国語文学の教授を務める傍ら、環境活動家でもある。1997年に最初の小説を発表して以降、紅楼夢賞やマン・ブッカー国際賞の候補にノミネートされる。