ソン・ウォンピョン 著 矢島 暁子 著 祥伝社 刊
生まれつき感情の分からない主人公が愛や友情を知っていく成長物語
本書は秀逸な訳文に裏打ちされたライトな作風で幅広い世代から支持されるのも肯ける。現代人が忘れがちな「普通の正体」や「真の共感」とは何かといった深いテーマについても問う大ヒット話題作。
アーモンド形の脳の扁桃体が生まれつき小さく、嬉しさ、悲しさ、怒りといった感情が分からない失感情症の主人公ユンジェ。彼の母と祖母は通り魔に襲われ、母は植物状態になり祖母は亡くなるが、その現場にいたユンジェは何の感情も沸かず呆然と立ち尽くすだけだった。
学校でも悲運な目にあっても何も動じないユンジェは話題になり、いじめの対象となった。そんな時、不良少年で感情の起伏が激しいゴニと出会う。正反対の二人は最初は反発しながらも、次第に互いを分かろうとし友情を育んでいった。
その過程でユンジェは恋愛も経験し人を愛する気持ちが分かるようになったり、友情心から親友ゴニを助け出そうとする。さまざまな苦難を乗り越え、ユンジェは果たして、感情を理解できるようになるのか?
軽快に読み進められるライトな作風
本書は翻訳書にありがちな回りくどい表現やぎこちない表現が少なく、内容は深いが次のページをめくる手を止められなくなる。原書の文体も親しみやすいのだろうが、その作風を忠実に日本語に落とし込んだ翻訳者の技量に感心した。私も翻訳業に携わる身として、常日頃から読みやすく自然な訳出を心がけているつもりのため、なおのこと本書の翻訳者に尊敬の念を抱いた。
内容が頭にすっと入ってきて、早く次の展開を知りたいと思いながら、気づいたら読了していた。知らされていなければ、きっと翻訳書とは思わなかっただろう。優れた訳文とはこういう文章なのだと身が引き締まる思いがした。
普通とは何か?
みんな〝平凡〟という言葉を、大したこととは考えず気軽に口にするけれど、その言葉に込められた平坦さに当てはまる人生を送っている人がどれだけいるだろうか。
(『アーモンド』本文より引用)
個性を尊重しようと世間では言われるが、集団社会ではどうしても他人と歩調を合わせる必要が出てくる。目立つ個性は集団で浮き、批判や嘲笑の対象となる。だがどの物差しで「普通」を判断すればよいのだろうか。他人と似ていることだろうか。問題を起こさないことだろうか。
ユンジェは普通の人と違って感情が分からない。マイノリティとして集団生活を生き抜くには本音を隠し建前で人間関係を築いたりする社交術も時には必要なのだが、ユンジェはそんな器用な真似は出来ない。人が言うことをありのまま受け止めてしまい、思ったことをそのまま口に出す。
そのため痛い思いも色々とするのだが、この無防備さや純粋さは現代人が忘れかけている大切な個性なのではないか。現代社会が多様性を標語として掲げていくなかで、ユンジェのキャラクターから学ぶべきことは多いのではないだろうか。
現代社会で問われる共感力
母と祖母が通り魔に襲われた時に周囲にいた人たちの反応をユンジェはこう回想する。
ほとんどの人が、感じても行動せず、共感すると言いながら簡単に忘れた。感じる、共感すると言うけれど、僕が思うに、それは本物ではなかった。僕はそんなふうに生きたくはなかった。
(『アーモンド』本文より引用)
人はどうしても責任をとらされないように波風立てず生きがちである。確かにそれも必要な社交術なのだが、現代社会でどれほどの人が他人に真の意味で共感できているだろうか。訳者のあとがきでも書かれているが、近年、SNSの発達などで人と簡単につながれるようになった一方、その関係は希薄になっていることは否めない。
本書ではユンジェとゴニの濃密な友情に心打たれるシーンが何度もある。まさに人と人が肌を寄せ合い、つながる瞬間だ。本書では傷ついてもいいから本音をぶつけ合ったり、裏切られてもいいから愛情を直接伝える「友情の熱量」に圧倒される。閉塞的な社会で生きる現代人こそ、本書を読んで古き良き熱い人間関係に思わずグッときて、我に返される瞬間があるはずだ。
著者紹介
ソン・ウォンピョン(손원평)
1979年、韓国・ソウル生まれ。映画監督、小説家。西江大学校で社会学と哲学を専攻する。映画監督としては、第六回『シネ21』映画評論賞や第三回科学技術創作文芸公募のシナリオシノプシス部門を受賞した。他にも多数の短編映画の脚本、演出に携わった。また小説家としては、『アーモンド』で第十回チャンビ青少年文学賞、『三十の反撃』で第五回済州4・3平和文学賞を受賞した。