書籍

書籍レビュー「花と夢(アジア文芸ライブラリー)」

ツェリン・ヤンキー 著 星泉 訳 春秋社 刊

たくましく生きる「花」たちのシスターフッドの物語

チベット自治区の首都、ラサを舞台に、運命に翻弄されながらも懸命に生きる四人の女性の物語は、地元チベットの人々の共感を呼んだ。本作は、チベット族の女性がチベット語で著した初の長編小説である。

チベット自治区の中心部、ラサ。田舎からやってきた四人のうら若い女性たちは、やむにやまれぬ事情を抱え、この街のナイトクラブ「ばら」で菜の花、ツツジ、ハナゴマ、プリムラという源氏名でホステスとして働くようになる。アパートの一室に同居し、固い友情で結ばれた「花」たちは、支え合いながら懸命に生きるが……。

「自分の言葉」で語ることの意義

仏教の巡礼の地、ラサは五体投地(文字通り、五体を地面に投げ出して行う、仏教の最敬礼)をする巡礼者でごった返す聖地の一面を持ちながらも、茶館やナイトクラブも立ち並ぶ都会でもある。都市部ならではの高揚感や期待感もあり、そしてそこには、ホステスやセックスワーカーとして働く女性たちもいる。この物語の主人公たちのように。

本書を読むまで、恥ずかしながらラサについてはぼんやりとした印象しかなかった。「標高が高いから、雪が降るんだろうな」とか「寺院が多いんだろうな」程度である。読後も私にとってラサは神秘の地であることに変わりはないが、それでも、空の色、街の雰囲気、トゥクパ(チベット風うどん)をすする人々の吐息を思い浮かべながら、読書を楽しむことができた。

著者のツェリン・ヤンキーは、チベット語、それも長年暮らし、働いてきたラサの言葉でこの物語を綴った。このような読書体験を堪能できるのも、その賜物だろう。チベットでは漢語教育も進んではいるが、これからもチベット語はチベット民族にとっての第一の言語であり続けるだろう。チベット文学はそれを後押しするものでもある。

物語に力を与えるチベット仏教の世界観

主人公たちは「業」という言葉をよく口にする。日本では「業が深い」といえば、どちらかというと本人の行いや性格により災いがもたらされているという意味あいで使われることが多いが、輪廻転生を信じるチベット人の世界観では、前世での行いの報いを現世で受けるということを意味する。

前世で起こったことは変えられない。だから仕方ない。それは決して後ろ向きなメッセージではない。だからこそ、自分の運命を受け入れつつも、来世でより良い人生が送れるよう願って、現世で精一杯生き抜くということである。

現に、主人公たちはレイプ、パワハラ、親からの虐待、ストーカーといった今まさに世界中の女性が悩まされている問題に直面しつつも、彼女たちに与えられた少ない選択肢のなかで懸命に生きようとする。自分の運命を嘆いて立ち止まったりはしない。

そして本書のテーマの一つといえるものが、人生のうつろいである。無垢な少女がやがて大人の女性に成長する。平穏な生活が崩れ去った後に、また自分の居場所を見つけ友を得る、しかしまたその友とも別れ、人生の次のステージへと移っていく。

物語の冒頭と終盤に登場するプティーという女性の人生の変遷も、このような諸行無常の世界観を反映している。また彼女の姿は、主人公たちのその後を暗示するものでもある。

悲劇の物語ではあるが、読後に心に響きながらもさわやかな印象を与えてくれる良書。それにはまた、最後のワンシーンのおそらくチベットでしか見ることのできない光景も一役買っている。


著者紹介

ツェリン・ヤンキー(tshe ring dbyangs skyid)

1963年、中国チベット自治区シガツェ生まれ。渡し船の船頭を生業とする両親と、語りの得意な祖母のもとで育つ。大学入学後すぐに小説を書き始め、ラサの高校でチベット語の教師として働きながら執筆活動を続ける。寡作ながら、ダンチャル文学賞、全国少数民族創作駿馬賞を受賞。現在は教師を引退し、両親の介護をしながらラサで暮らす。

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川嶋ミチ

翻訳家、ライター。神奈川県生まれ。アジア、ヨーロッパの国々を飛び回り、出産を機に神奈川に舞い戻る。活字中毒。このサイトのキュレーターを務める。

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