陳團英 著 宮崎 一郎 訳 彩流社 刊
再生、平和、戦争について問う異色のロマンス
暗い過去を引きずる主人公とミステリアスな日本人庭師とのロマンスがマレーシアの壮大な自然を思わせる情景描写と共に描かれる。クライマックスにかけてさまざまな伏線も回収されていきミステリー的な様相も呈し、平和や戦争といった深いテーマについて考えさせられる。
第二次大戦中の日本軍統治下にあるマラヤ(現マレーシア)。主人公ユンリンは日本軍の強制収容所に姉ユンホンとともに収容され、ユンホンはそこで慰安婦にさせられていた。姉を見捨てるように収容所を脱出したユンリンは、亡き姉が夢見ていた庭園を造ることを決心する。そこで出会ったのが不思議な雰囲気を醸し出す日本人庭師、中村有朋であった。
有朋は天皇の専属の庭師だったが、意見の相違からその職を辞し、マラヤで夕霧という自分の庭園を造っていた。日本人に対する負の感情を持ちながらも有朋に弟子入りすることを決めたユンリン。複雑な過去を持つ二人は互いに惹かれていったが、ある日突然有朋が姿を消してしまう。数十年後、夕霧を再訪したユンリンが目にしたものとは……。
日本庭園を介して紡がれるマレーシア人女性と日本人庭師のロマンス
山の峰々は霧に包まれて下界と切り離され、空に浮かんで見える。遥か彼方のマラッカ海峡にはパンコール島がまどろんでいる。東の方は見渡す限り山々が連なり、地平線の向こうの、うっすらと重なるキラキラした帯が南シナ海だということはわたしにもはっきりわかった。
(『夕霧花園』本文より引用)
日本、マレーシア、中国などの歴史や文化が色濃く反映された本作には、主人公ユンリンと日本人庭師有朋が互いに惹かれていく過程、二人の過去、そして失語症を患い死を意識し始めたユンリンの回顧といった3つの時代背景で語られる。随所でマレーシアのエキゾチックで壮大な風景が目に浮かび、作品のスケールに引き込まれる。
さまざまな伏線が作品後半に向けて回収されていくが、有朋が突然姿を消した理由だけは謎に包まれたままである。自分が知っている秘密をユンリンの背中に彫り物として残し、師匠としての庭師の役目を終えたと感じると同時に、戦争で日本人が犯した蛮行を知りながら、ユンリンとの関係を続けることに耐えられなくなったのかもしれない。
「夕霧の庭」の一木一草は独自のペースで成長し、花開き、そして枯れていくが、それでいて庭全体には永遠の時間が流れているように感じられるのだ。
(『夕霧花園』本文より引用)
有朋が姿を消した数十年後の夕霧庭園は自然が密生しながらもその形跡を残していた。時と共に変わってゆく庭園を介して、過去の傷と向き合いながらも抗えない時の流れに負けないように芯を持って再生の道を歩んでいかなくてはならないことを、有朋はユンリンに伝えたかったのだろう。
途中、日本軍による占領下での蛮行が描かれているが、単なる日本批判に終わらず、自然をあるがままに大切にし、諸行無常が流れる日本庭園、そして傷を負った過去への向き合い方と再生への道を示す日本人有朋の姿を通じて、日本文化や日本人の国民性への敬意も感じられる作品である。
著者紹介
陳團英(Tan Twan Eng)
1972年、マレーシア、ペナン島生まれ。クアラルンプール育ち。ロンドン大学で法律を学び弁護士として活動した後、『The Gift of Rain』で小説家デビュー。同作品はブッカー賞の初期候補作品に選出された。2作目の『夕霧花園』(The Garden of Evening Mists)は、ブッカー賞最終候補作に選出され、マン・アジア文学賞とウォルター・スコット歴史小説賞を受賞し、リー・シンジエ、阿部寛主演で映画化もされた。