ディー・レスタリ 著 福原慎太郎・西野恵子・加藤ひろあき 訳 上智大学出版 刊
ディー・レスタリの宇宙
『スーパーノヴァ』シリーズでインドネシアの文学界を席巻したディー・レスタリ(Dee Lestari)が、学生時代から書き溜めてきた18篇の作品が収録された短編集。
1995年から2005年にかけて書かれたこれらの詩、散文、短編からは、多様性、過去と未来を自在に行き来する時間的な広がり、ユニークさ、つまり、『スーパーノヴァ』シリーズと同じようにディー・レスタリの宇宙が感じられる。
コーヒーとインドネシア
まず表題作の『珈琲の哲学』。コーヒーを愛し、最高のコーヒーを求めて世界各地を旅したベンと、その相棒のジョディが開いたカフェ「珈琲の哲学」は、今日も常連客で大賑わい。ベンはある男性客から受け取った「挑戦」に果敢に挑み、成功したかのように見えたが……。
歴史的にいうと、インドネシアは、世界で初めてコーヒー栽培のプランテーションが始まった国である。1960年代後期に当時の統治者であったオランダ人がコーヒー豆を持ち込んで以来、今でも多くのコーヒー畑が国内にあり、世界第4位の生産国。そんな国としての背景が、この作品からも読み取れる。
作中にもちらりと登場するインドネシア伝統の「トゥブルック・コーヒー」は、挽いたコーヒー豆と熱湯をグラスに注ぎ、コーヒー豆が沈んだところで飲むという素朴なもの。さらには、それを皿の上にひっくり返して置き、皿にあふれ出してくる液体をストローで吸うという飲み方もあるらしい。
ベンとジョディが経営するカフェ「珈琲の哲学」同様に、コーヒーが好きな人はもちろん、そうでない人をもやがて魅了していくのが、この作品の持ち味だ。
この短編は映画化され、『珈琲哲學~恋と人生の味わい方』というタイトルで東京国際映画祭に出品されている。映画については、別稿でレビューしているので、ご興味あれば、ぜひご一読あれ。
アジア人から見たアジア人
そして何よりも、私の心をつかんだのが、最後に収録されている短編『チョロのリコ』だ。チョロとは、皆さんもご存じの生き物である。人間より先に地球上に存在しているのに、日陰者で嫌われ者。この生き物を主人公に、こんなに切なくて美しい物語が書けるなんて!
主人公の「リコ」はチョロの小さな王国の王子さま。彼は人間の少女に恋をしている。父に叱責されながらも、恋心を捨てきれないリコ。しかし、次々と仲間が犠牲になり、その真の理由を知った父王が人間への復讐を決断したことから、物語のベクトルは悲劇へと向かう。そしてその結末は……。
「スプーンを探して、あそこに鏡を作れ!」父さんがまた怒鳴った。「自分を見てみろ。我々はチョロだ! 人間の目に映る我々は、永遠に、黒くて、小さくて、不細工で、臭い!」
『珈琲の哲学 ――ディー・レスタリ短編集 1995-2005』収録『チョロのリコ』より引用
敵であるはずの人間の世界から学び「文化的」チョロを自負する一方、別の世界に住む同族を蔑むリコの父。この設定にドキッとするあなたは、日本人の抱えるダブルスタンダードに気づいているのかも。
だが、著者の視点はあくまでやさしい。その証拠に、美しい奇跡でこの物語をしめくくっている。
ディー・レスタリの宇宙には、コーヒーに情熱を注ぐ若者も、素朴な農園の老夫婦も、ヘルマンを探し求める可愛らしい少女も、同性愛も、トランスセクシャルも、不倫も、そして、チョロも存在する。
著者紹介
ディー・レスタリ(Dee Lestari)
1976年、インドネシア、西ジャワのバンドゥンのキリスト教の家庭に生まれる(のちに仏教に改宗)。17歳の時に友人と共にガールズバンド、RSD(Rida Sita Dewi)を結成。2001年に最初の長編小説『スーパーノヴァ エピソード1 騎士と姫と流星』を発表。当初は自費出版であったが、インドネシアで瞬く間にベストセラーとなり、続編が第6部まで刊行された。