書籍

書籍レビュー「台湾漫遊鉄道のふたり」

楊双子 著 三浦裕子 訳 中央公論新社 刊

食べることと、愛することは、よく似ている。

美味しいものを食べるとき、人は幸せを感じる。つらいことを忘れさせてくれることだってある。大好きな人と一緒に食べるとき、その幸せがもっと大きくなるのはなぜだろう。

物語の舞台は昭和13年(1938年)、日本統治時代の台湾。前年、1937年には日中戦争が始まっている。主人公は流行作家の青山千鶴子で、長崎に住む独身の24歳。結婚する気はさらさらない。とにかく美味しいものに目がなくて、二人前のちらし寿司を食べたすぐあとに、ぼた餅を四つも一気に食べてしまう大食漢だ。ある日、台湾総督府から台湾で巡回講演会を行ってほしいとの招待状が届く。これ幸いと向かった先での一番の関心はやはり食べ物。「お腹に妖怪を飼っている」かのような食欲と好奇心に応えるべく、通訳として手配されたのは四つ年下の台湾(本島)人、王千鶴。国語の先生をしていたが、許嫁との結婚を控えて退職していた。

あれ? 間違った本を読み始めてしまったのかな?

台湾の作家、楊双子が書いた『台湾漫遊鉄道のふたり』を手に取ったはずなのに、表紙をめくると、昭和13年に青山千鶴子という人が臺灣日日新報に寄稿した記事、さらには彼女による昭和29年『台湾漫遊録』初版まえがきが続く。日本人が書いた旅行記を台湾で翻訳し、それを再邦訳したのか? でも本書は、台湾の作品として初めて日本翻訳大賞(第十回)を受賞した作品。もともと日本語で書かれた小説が選ばれることなんてあるのか?

落ち着いて隅々まで見てみると、巧妙な仕掛けが施されていることがわかった。実際、台湾での刊行当初、混乱した読者が続出してちょっとした騒ぎになったという。

「お腹に妖怪を飼っている」主人公の食べっぷり

まず驚かされるのは並外れた千鶴子の食欲だ。

千鶴子が九州の門司港から台湾の基隆港に連絡船で入った翌日、台北から、台湾での拠点となる台中までの汽車での移動中に食べたものを見てみよう。

午前9時半に台北を出発し、10時5分に桃園駅で「白いご飯、揚げ魚、焼き魚、大根の漬物、鰻の八幡巻きの駅弁」、11時1分には新竹駅で「炒米粉(炒めビーフン)」、それから11時47分に苗粟駅で「塩味のついたあひるのゆで卵五つと、塩むすび」といった具合だ。

そもそも、目次を見ると、各章のタイトルは「瓜子(瓜の種)、米篩目(米粉の太うどん)、麻薏湯(黄麻の葉のスープ)、生魚片(刺身)、肉臊(肉のうま煮)…」とすべて食べ物の名前。さらには、魚料理店で千鶴子が「土俵入りする力士のような勢いで、卓上の品々を次々に平らげた」とまで書かれており、思わず吹き出してしまった。

が、千鶴は、千鶴子の無茶な食べっぷりを見ても、「眉ひとつ動かさない」。「能面」のごとき美しいポーカーフェイスを崩さぬままだ。

二人の「千鶴」を乗せ、列車は台湾を縦断する

千鶴の甲斐甲斐しさはあまりにも出来すぎている。通訳の仕事の範疇を大きく超えて、千鶴子の心の声まで聞き取り、常に先回りして手配し、美味しいものを携えて通ってくる。いかり豆でも荔枝でも落花生でも、気がついたら優雅に手早く器用に殻を剥いてくれ、料理の天才でもあり、なんでも「手品のように食卓に並べてくれる」天使だ。千鶴子が、千鶴と「友達になりたい!」と願うのも当然だろう。だが千鶴は能面を貫く。

二人の距離はなかなか縮まらないまま、台湾縦貫鉄道で各地に講演会に出かけては美味しいものをたらふく食べ、名所を訪れる。千鶴の案内と説明で見えてくる、台湾の風土、暮らし、民族、言語、伝承、歴史などなど、時々漢詩や漢文を交えながら、彼女たちの物語もぐるりと島国を巡っていく。

厳しくなっていく戦局も、食べ物の記述から明らかになる。千鶴子が台湾に到着した5月には、まだ「おかずたっぷりの駅弁」が売られていたのに、7月には、「おむすびと梅干しだけの愛国弁当」に変わっていた。

千鶴は何か秘密を抱えているのか?二人は友達になれるのか? そして彼女たちは一体どれだけ食べるのか?

無知な自分、目から「蛤」が落ちる瞬間

二人が旅する列車に同乗するかのような勢いで一気に読み進めた。そしてトンネルを抜けたら、世界の見え方が永遠に変わってしまった。千鶴子の言葉を借りて、目から「蛤」が落ちたと言ったほうがいいかもしれない。

支配と被支配、傲慢と親切……他にも挙げようと思えばいくつもある。

「この世界で、独りよがりな善意ほど、はた迷惑なものはございません」

と、台中市役所の美島の声が耳元で聞こえたような気がした。

私は台湾のことをまるで知らなかったのだと気づかされた。一方で、著者は、日本の歴史や文化だけでなく、日本人の心の襞まで知っているかのようである。

千鶴子の満たされない食欲と心の渇望は、著者の生い立ちが反映されているらしい。著者の両親は幼い頃に離婚し、双子の妹とともに祖母に預けられるも、十代半ばから二人で自活せざるを得ない状況になり、食べるものにも困ったという。

鉄道、美食、歴史そして————

食べることと、愛することは、よく似ている気がする。こう書きながら目に浮かぶのは、千鶴子の無邪気なリクエストで、千鶴がきりきり舞いしながら、手を変え品を変え、台湾のそうめん「麺線(ミーソァー)」を「味変」で七杯も作らされる姿だ。

この作品には、鉄道、美食、歴史だけでなく、もう一つ大きなテーマがあることを書き添えておこう。

ちょっとつまみ食いでなく、じっくり最後の1頁まで味わい尽くしてほしい。

なお、千鶴子のモデルの一人は作家の林芙美子。1930年(昭和5年)に彼女が台湾を訪れたときの旅行記は、『愉快なる地図-台湾・樺太・パリへ』で読むことができる。


著者紹介

楊双子(ようふたご/Yang Shuang Zi)

1984年生まれ、台湾・台中市育ち。小説家、サブカルチャー・大衆文学研究家。双子の妹(故人)との共同ペンネームとして日本語の「双子」を使用している。2020年に書かれた『台湾漫遊鉄道のふたり』が初邦訳小説。同作は台湾の優れた出版作品に贈られる「金鼎奨」受賞。他に邦訳刊行された作品は、原作を書いた漫画『綺譚花物語』。日本統治時代に建てられた古民家を舞台にした最新作も日本で刊行予定。

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よしい あけみ

ライター、食文化研究家。日本で情報誌の編集を経て、豪州に留学。寮で大勢のインド人学生と暮らしたのがきっかけでインドに開眼。その後南インドで10年以上暮らす。物心ついたときから、なんでも食べて、なんでも読むことが信条。

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