ヴィエト・タン・ウェン 著 上岡 伸雄 訳 早川書房 刊
ベトナム戦争について新たな洞察をもたらす話題作
北ベトナムのスパイの告白形式で進み、主人公がアイデンティティを探求していく中でアメリカの「特別意識」をあぶり出す。本書は「ベトナム側から見たベトナム戦争」という新しい視点を読者に提示する。
南ベトナムの将軍の下で働きながら、実は北ベトナムのスパイで共産主義者の大尉でもある匿名の主人公が獄中で衝撃的な告白をするところから、物語は始まる。
彼は共産主義へのシンパシーを感じながら、南ベトナムの将軍や親友への忠誠心も忘れない。このような矛盾を抱えた主人公がサイゴン陥落後、アメリカに渡りスパイ活動を続けていく中で、報道されていないさまざまな不条理や欺瞞に直面する。
南北ベトナム、アメリカ、民主主義、共産主義といった要素に心を揺れ動かされながら、彼は果たして自分のアイデンティティを確立できるのか?
ベトナム人の視点から綴られるベトナム戦争の真実
私はスパイです。将来の特命に備えた冬眠中の諜報員であり、秘密工作員。二つの顔を持つ男。まあ、驚くことでもないと思いますが、二つの精神を持つ男でもあります。漫画本かホラー映画に出てくる、人から理解されない突然変異体というわけではありません。といっても、人々は私のことをそのように扱ってきたのですけど。私はただ、どんなものでも両面から見られるだけなのです。
(『シンパサイザー』本文より引用)
主人公の告白から始まる本書では、アイデンティティの探求がひとつの大きなテーマとなっている。フランス人カトリック神父と貧しいベトナム人女性との間に生まれた主人公は、共産主義者のスパイとして南ベトナム政府のために働くことを歯がゆく思っている。またベトナム戦争が進行していくなかで、北ベトナムへの忠誠心と共産主義政権への幻滅の間で激しく葛藤する。
戦争終結後はアメリカに渡りアイデンティティを確立しようとするが、そこで目にしたものはアメリカの「特別意識」だった。ベトナム戦争に負けたにもかかわらず、アメリカ人は自分たちをあたかも英雄であるかのように賛美し、ベトナムを荒廃させた残虐行為や悪行には目をつむっている。
アメリカがベトナム戦争に加担したのは、自国を美化し他の国と歴史的、文化的に異なっているという「特別意識」に基づく偽善ではなかったかという気さえしてくる。それと同時に戦争の無益さも訴えかけられる。
独特な告白で浮かび上がる戦争の悲惨さ
本作は終始一貫して匿名の主人公の「ですます」調の告白形式で進む。その口調は冷静でありながらも感情の表出が時折見られ、主張がしっかりと感じられる。ともすれば味気のない告白形式をとることで、戦争の悲惨さが伝わりやすくなっている。
これまでは「アメリカ側から見たベトナム戦争」を扱う作品が多かったが、「ベトナム側から見たベトナム戦争」を扱う本作は、ベトナム戦争の見方を一変させる一石を投じているといえる。
著者紹介
ヴィエト・タン・ウェン(Viet Thanh Nguyen)
1971年生まれのベトナム系アメリカ人。大学教授、小説家。デビュー作『シンパサイザー』(The Sympathizer)はピューリッツァー賞などさまざまな賞を受賞。ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストとしても活躍し、政治、文化分野の取材活動を続けている。