近年、アジアでは女流作家の活躍が目立つ。国際的な文学賞でもその存在は徐々に認められつつあり、さらなる飛躍が期待される。
かつてアジアでは、他の分野と同じく文学界でも長らく男性作家のほぼ独壇場が続いていたが、1990年代末にはインドネシアで発表されたアユ・ウタミの『サマン』を皮切りに美しく多彩な女性作家による「サストラ・ワンギ(香り立つ文学)」ムーブメントが起こる。その流れは現在も続き、次の世代の女流作家たちも続々と登場している。
韓国でも、映画化もされた『82年生まれ、キム・ジヨン』のチョ・ナムジュや、ファンタジーとホラーを織り交ぜた軽快な作風が人気の『保健室のアン・ウニョン先生』のチョン・セランをはじめとする女流作家の活躍が目覚ましい。
国際的な文学賞でいえば、2016年にハン・ガンの『菜食主義者』が、2022年にインドのギータンジェリー・シリー(Geetanjali Shree)の『Tomb of Sand』(未邦訳)が国際ブッカー賞を受賞。同じくインド出身のディーパ・アーナパーラはデビュー作『ブート・バザールの少年探偵』で2021年エドガー賞長編賞を受賞している。
現代のフェミニズム
嫌な話だけれど、女性差別は現代でも依然として存在する。
フェミニズムが最初に起こったのは、19世紀末期頃のこと。その頃は、参政権や雇用における平等など、もっと分かりやすいもののために戦っていた。
現代では、女性たちは一見、かなりの自由を手に入れたかのように見える。しかし、何かを決断したり、行動したり、自分らしく生きようとすると、突如、そこに存在するとは思ってもいなかった透明な壁にぶち当たる。
『82年生まれ、キム・ジヨン』は、そのような事実を、圧倒的なリアリティをもって語っている。
より普遍的な輝きを放つ作品群
一方で、ベトナム出身、米国在住のモニク・トゥルンによる『かくも甘き果実』は、日本でも著名な作家ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の足跡をギリシャからアイルランド、米国、日本へと辿り、母と二人の妻の視点から、彼の姿を浮き彫りにする。
インドネシアの作家、ディー・レスタリの『スーパーノヴァ』シリーズは、ジャカルタを舞台に、多様性に満ちた登場人物の関係性のなかから、混沌とした世界を描き出す。
このように、時代と場所、空間を超えた広がりを感じさせるダイナミックな作品を生み出す女流作家もいる。
自らの言葉で物語を綴ることの意義
チベットの作家、ツェリー・ヤンキーの『花と夢』は、過酷な運命に翻弄される年若い4人の女性たちの姿を描きだしている。著者は都会の片隅に生きる女性たちの声をすくい上げ、美しいシスターフッドの物語へと昇華させた。同作は、チベット人女性がチベット語で書き上げた初の長編小説という点でも注目に値する。
日本では千年前に紫式部が、日本古来からの言葉、やまと言葉で『源氏物語』を著した。これは世界最古の長編小説でもある。
借り物の言葉ではなく、生来から慣れ親しんだ言葉で書くことにで、より雄弁で、より豊かな語りになることは想像に難くない。
紫式部ほどの才能があれば、おそらく漢語で物語を書くことも可能ではあったかもしれないが、そうであれば、全54帖、約100万字にも及ぶ長編を、あれほど豊かに生き生きと描くことができたであろうか。
『花と夢』も、ツェリー・ヤンキーが、自分の言葉で語り、チベット人ならではのアイデンティティを反映したからこそ、チベット人はもとより、他の国々の読者にも響く作品になっている。
時代を超えて語り継がれる文学の登場なるか
1990年代後半、もともと右肩上がりであった15歳以上の女性の識字率は、大きく向上した1 。そして家庭用PCと携帯電話の普及率も加速。この世界的な現象は、もちろんアジアでも見られた。これは今現在、活発に活動している1970~1980年代生まれの女流作家たちが著作活動を開始した年齢ともほぼ一致している。
そしてこの年代に生まれた女性たちは、それからさらに10~30年かけて、より若い女性たちのロールモデルとなり、母親として子を高等教育機関に送り出すようになった。こうして、創作人口と読者人口の増加は、今も着々と進んでいる。
ただ同胞の女性の声を代弁するだけでなく、より普遍的な輝きを持つ作品も続々と登場している。『源氏物語』から千年を経た今、世紀を超えて語り継がれる作品がアジアの女流作家の手により生みだされる可能性は十分にある。今後に期待したい。
- 世界銀行統計 https://worldbank.org/indicator/SE.ADT.LITR.FE.ZS ↩︎