余華 著 飯塚容 訳 中央公論新社 刊
映画化もされた中国の傑作大河小説

激動の時代を生き抜いたある男の人生を通じて、家族の絆と生きる意味について問う
物語の冒頭、福貴は賭博に明け暮れ、一文無しになり、家族からも愛想をつかされてしまう。そんな中で国共内戦が始まり徴兵され、過酷な環境の中でも家族を想い続ける。内戦から無事帰還し家族と再会した後も大躍進政策により経済的に困窮した生活を強いられる。
そして立て続けに文化大革命が起きさまざまな制約の中で、大切な多くのものを失っていく。そんな中、果たして福貴はどのような希望を見つけて生きていくのか?
家族の絆
本書の中心テーマは間違いなく家族の絆である。まず賭博で全財産を失い家族と疎遠になってしまった福貴は改心し、これからは家族のために身を捧げて働く決心をする。この単純で素直な決断が、物語を通じて家族の絆を保ち続けることができた大きな要因といえる。
国共内戦が始まり戦地の過酷な環境に置かれても福貴はいつか必ず家族のもとに帰り、平穏な日常を取り戻せると信じて戦った。悲惨な戦時下においても、家族の存在が福貴にとって唯一の希望の光だったのだ。
内戦から帰還し家族と再会するやいなや、福貴の母が亡くなり、高熱をだした娘は言葉を失った。そこでも福貴は自暴自棄にならず、前だけを見て家族に優しい言葉をかけ続ける。
大躍進政策の下では、息子の有慶を失ってしまう。政策により国から新たに任命された区長で福貴の友人である春生が運転する車が学校の壁を崩し、その瓦礫が有慶に直撃してしまったのだ。
物質的な償いを申し出る春生であったが、福貴一家はそれを拒み、亡くなった有慶のためにも懸命に生きることこそが唯一の償いだと訴える。福貴一家にとって家族とは金や物で代替できる存在ではなかったのだ。
続く文化大革命時代には福貴の娘鳳霞が造反派の夫と結婚したため、出産時に適切な治療を受けられず亡くなってしまう。福貴一家は残された孫を必死に可愛がることで、娘の死から立ち直ろうとする。
このように大事な家族の死という人生最大といっても過言ではない危機に直面しても、めげずに前を向き家族の絆を第一に考える福貴一家の姿に胸を打たれた。
生きるとは?
本作ではその題名とは裏腹に多くの登場人物が亡くなる。だが裏を返せば、生と死は表裏一体であるということを訴えかけているともいえる。まるで取り残されるかのように福貴の周りにいる者が亡くなっていくが、福貴はこう述べている。
人間は平凡な方がいい。どうにかこうにか頑張って、命をつないでいくのだ。例えばおれみたいな役立たずでも、寿命はやけに長い。まわりの人間が次々に死んでいったのに、おれはまだ生きている。
(『活きる』本文より引用)
生きることを諦めない限り、人生という長い旅路は続いていく。どんな人の人生も多かれ少なかれ紆余曲折するものだが、人はどのような時に生きていることを実感するのだろうか。それはもしかすると大切な人の死と向き合っているときかもしれない。
大切な人の死に直面すると悲しみや絶望といった感情が湧き出てくるのは当然である。そして散々悲しみに明け暮れる中で、自らが生きる意味も疑うようになるかもしれない。
だが大切な人の死を受け入れ、自分なりに消化したうえで、前に進もうと決心した時にきっと人は生きる尊さやありがたさを知るのだろう。自分も今後の人生でどんな苦しい状況に陥っても、福貴のように人間としての誇りを失わず強く逞しく生きていきたいと思った。
著者紹介
余華(ユイ・ホア) 1960年、中国浙江省生まれ。文化大革命時代に過ごした少年期が後の作品に影響を与える。いくつかの短編を発表した後、1987年に発表された『十八歳の旅立ち』が出世作となる。その後も初の長編『雨に呼ぶ声』、映画化された『活きる』や『兄弟』などで国際的な評価を受ける。またエッセイ集『ほんとうの中国の話をしよう』では時事問題についての独自の見解を積極的に述べている。