グエン・ニャット・アイン 著 加藤 栄 訳 カナリアコミュニケーションズ 刊
ベトナムで大ヒットした映画の原作ベストセラー小説

1980年代後半、ベトナムの村で暮らす人々の素朴な日常を描いた作品。貧しい中で助け合って生きる田舎の人々の姿や不器用で淡い初恋の描写にきっと懐かしさを覚える
13歳のティユウは両親と弟のトゥオンと暮らしている。クラスメートのマンがティユウだけに家の秘密を教えてくれた。つらい状況に涙を浮かべるマンを見て、かわいそうに思い、マンに恋心をいだくようになった。そんなある日、マンの家が火事で燃えて、マンはティユウの家に身を寄せる。
マンとトゥオンは性格も好みもよく似ており、いつも仲良く寄り添うようになった。それを見ているとティユウは不愉快な気持ちになるのだった。そしてついに、ちょっとした誤解から怒りが爆発して、トゥオンにひどい暴力をふるい、起き上がれなくなるほどのけがを負わせてしまう。さらに、追い打ちをかけるように、マンと別れなければならなくなる。
その後トゥオンから、マンはティユウと仲良くしたがっていたと聞かされる。マンは恥ずかしがっていたのだと知る。
未熟な思春期の心情に共感せずにはいられない
ティユウは要領がよくて逃げ足が速く、トゥオンはそのとばっちりを受けて、いつもムチで打たれたり、家の手伝いをさせられたりしていた。だが、どれほどひどい目にあわされても、トゥオンは兄を慕い続ける。ティユウはそんなトゥオンをかばおうと思いながらも、自分かわいさに結局トゥオンを犠牲にしてしまう。勉強だけはできたが、それ以外の点では弟のほうが優れていることを感じて、ひそかに劣等感を抱いていた。
そんなこともあって、マンが家で一緒に暮らすようになると、ティユウはトゥオンに激しい嫉妬を覚え、自分で自分の感情をうまくコントロールできなくなる。
トゥオンに対する僕の悪意は日増しにつのっていった。マンとトゥオンの仲睦まじい姿がつねに頭から離れず、夢の中にまであらわれた。
(「草原に黄色い花を見つける」本文より引用)
マンが日に日に女らしくなり、トゥオンのいいところが目につき、失意のどん底に追いやられる。自分に自信が持てず、純粋無垢な弟に嫉妬心と怒りがわき、自分で自分をどうすることもできなくなる。そして、最悪の結果を招いてしまう。
ティユウとマンは、本当はおたがいに好きだったのに、何も言えないまま別れをむかえる。はかなく切ない初恋。劣等感、嫉妬心、何もできずに終わる初恋、だれにでも覚えがあるのではないだろうか。
昔の日本に似た情景がノスタルジーを誘う
子どもたちの話と並行して、ダンおじさんの恋も語られる。ダンおじさんのためにトゥオンがおじさんの恋人のヴィンさんへ手紙を届けに行くのだが、その際、口実として母親からトウガラシやライムや醤油を貸してほしいと頼まれたと言う。父親のニャン先生が決してふたりの仲を許してくれなかったからだ。
親や先生が絶対の権力を持ち、ムチや棒で打ちすえることもあるところや、近所の人から足りないものを気軽に借りられる関係性は昔の日本を思い出させる。子どもたちが近所の広い敷地のある家で、元気に外遊びをする風景も昔の日本そのものだ。この物語を読むと懐かしさを感じるのは、そのためだろう。
また、主人公の父親は詩をつくるのがうまくて、よくひとをからかう詩をつくる。ある人が、宝くじを買って大当たりしたのだが、そのせいで大変な目にあって、逆に借金をかかえることになったというエピソードから次のような詩をつくっている。
宝くじに当たるのは爆弾に当たるようなもの
大黒柱の代償に借金を抱えた
(「草原に黄色い花を見つける」本文より引用)
父親が詩をつくると、村の子どもたちがその詩をくちずさんで楽しむのだ。
貧しい中でもみんな人生を楽しもうとしているのがわかる。さまざまなエピソードから、ちょっと乱暴でたくましいこの時代の大人と子どもの暮らしが見えてくる。エネルギーあふれる人々の生き方から、元気をもらえる気がする。
本作はベトナム系アメリカ人ヴィクター・ヴー監督により映像化され、2015年にベトナムで、2017年には日本でも公開された。第89回アカデミー賞外国映画賞部門ベトナム代表として、ベトナムの美しい田園風景と純粋な子どもたちの描写が高い評価を得た。
著者紹介
グエン・ニャット・アイン
1955年ベトナム生まれ。1980年代後半より現在までに100点以上の作品を発表している。思春期の少年少女の心情にスポットを当て、若者のみならず多くの読者の心をつかんだ。デビュー作は『万華鏡』シリーズ(1995~2010年、全54巻)で、累計売上部数は100万部を突破。1995年に20年間で最も愛された文芸作家の一人に選ばれる。2010年にはアセアン文学賞も受賞。日本でも「つぶらな瞳」「幼い頃に戻る切符をください」が翻訳出版されている。