書籍

書籍レビュー「絶縁」

村田紗耶香、チョン・セラン、ラシャムジャ 他 著 吉川凪、星泉 他 訳 小学館 刊

アジアの9名の作家たちの競演による短編集

「絶縁」という共通のテーマのもと、アジアの今を代表する作家たちが手がけた短編集から、断絶と絶望、そしてその先にある未来への希望を読み取ることができる

「同時代の日本の作家と一緒に本を書いてみませんか」――そんな提案から、9名のアジアの旗手たちが集結しスタートしたアンソロジー(短編集)の企画。同じテーマでありながら、多彩な作風の作品が出揃った。

感情移入が難しい曲者の主人公

まずトップバッターの『無』。これはなかなかに心騒ぐ読書体験だった。というのも、主人公の女性になかなか感情移入ができなかったからだ。終盤近くになるまで、このまま私の読書歴の黒歴史として残る作品になるのかと不安だった。太宰治の『人間失格』の主人公に最後まで共感できなかったときのように。

しかし最後のしかけで納得がいった。主人公をこのように描いたのが意図的なものであれば、成功している。そして、この作品の書き手である村田紗耶香に改めて興味がわいた。

一夫多妻の認められる世界で

イスラム教といえば一夫多妻が許されている。その実情はどうなのか。アルフィアン・サアットの『妻』では、学生時代に結婚まで考えた女性に再会した男性を軸に、その第一夫人と、第二夫人になろうとしている女性の姿が描かれている。

『絶縁』収録『妻』より引用

本来はライバルであるはずのひとに自ら第二夫人になってほしいと乞う女。普通の三角関係とはちょっと違う。日本人にとっては未知の文化を垣間見るという点でも興味深い。

「二番目に好きな人と結婚した方が幸せになれる」とはよく言うが、シンガポールのように、宗教、民族、社会階級といった制約が生活に深い影響を与える国では、実際には一番好きな人と結婚するのが難しいこともあるのだ。しかし一夫多妻制は一種の逃げ道ともなりうる。

過去、現在、そして未来へ

過去と現在を行き来しつつ進む構成が印象的な作品もある。

ラシャムジャの『穴のなかには雪蓮花が咲いている』は、故郷を遠く離れ北京で働いていたチベット族の青年が、若くして亡くなった幼なじみの女性との思い出を回想する話。

中学校さえも進学させてもらえず若くして嫁がされ、辛苦を舐めた末に交通事故で命を落とした女性と、都会で安月給でこき使われ、ついに退職して故郷へ帰る列車に乗り込む青年。切なく、救いのない話のように思えるのに、不思議と読後感がさわやかなのは、暗闇のなかで白く輝く雪蓮花(せつれんか)のイメージが心の中に残るからか。

歯切れの悪い話と、主人公の決断

チョン・セランの『絶縁』は、同じ著者による『保健室のアン・ウニョン先生』や他の快活な語り口の作品とはだいぶ印象が違う。

妻子ある男が次々と若い女性放送作家に手を出す。この男は罰せられるべきか。そうであれば、どの程度まで? 日本でもよく聞くような話だが、「これが正解」という答えは容易には出ない。

このような微妙な問題を描きながら、主人公の心の揺れ動きを軸に、最後まで読ませる。問題に対するはっきりとした答えは出ないが、主人公はある決断をする。 二回読んだが、一回目は主人公の佳恩に全面的に共感し、二回目は問題の男を擁護する友人夫妻の言い分にもいくらか分があるように感じた。

肝となる翻訳の質

本短編集では翻訳の質の高さにも注目したい。特に及川茜氏は、本短編集では韓麗樹の『秘密警察』と連明偉の『シェリスおばさんのアフタヌーンティー』という作風のまったく異なる二作品の翻訳を担っているが、いずれも細かな情景描写がされている点で共通しており、翻訳者としての才能をいかんなく発揮している。

他にも、この読書体験であなたは

表向けの偽の感情を黒く塗りつぶし(郝景芳『ポジティブレンガ』)、タイ民主化運動のなかで身を焦がすように生きる若者の姿を目撃し(ウィワット・ルートウィワットウォンサー『燃える』)、死を目前に息子との決別をきめた母の独白を聞く(グエン・ゴック・トゥ『逃避』)。

また、各作品に訳者解説または作者のあとがきがついており、各国の文化的背景や事情、作品が生まれた背景などを知ることができ、興味深い。アジア文学入門の書としてもぜひおすすめしたい一冊だ。 このアンソロジーはAudible版も入手できる。試しにまず無料体験で試してみた。やはり他のことをやりながら聞いていてはなかなか物語の世界に入っていけないのだが、リラックスして横になりながら聞くと、没入感もあり、一日の終わりの「聴書」におすすめだ。一話でちょうど眠くなって寝入れる感じ。


著者と作品の一覧

村田紗耶香『無』(日本)

アルフィアン・サアット『妻』(シンガポール)

郝景芳(ハオ・ジンファン)『ポジティブレンガ』(中国)

ウィワット・ルートウィワットウォンサー『燃える』(タイ)

韓麗珠(ホン・ライチュー)『秘密警察』(香港)

ラシャムジャ(lha byams rgyal/拉先加)『穴のなかには雪蓮花が咲いている』(チベット)

グエン・ゴック・トゥ『逃避』(ベトナム)

連明偉(リエン・ミンウェイ)『シェリスおばさんのアフタヌーンティー』(台湾)

チョン・セラン『絶縁』(韓国)

  • 記事を書いたライター
  • ライターの新着記事
川嶋ミチ

翻訳家、ライター。神奈川県生まれ。アジア、ヨーロッパの国々を飛び回り、出産を機に神奈川に舞い戻る。活字中毒。このサイトのキュレーターを務める。

  1. 書籍レビュー「絶縁」

  2. 映画レビュー「ブータン 山の教室」

  3. 書籍レビュー「成功したオタク日記」

RELATED

PAGE TOP