ハン・ガン 著 斎藤 真理子 訳 河出書房新社 刊
無垢なるものたちへ――

2024年のノーベル文学賞受賞者ハン・ガン氏による、生と死、過去と未来を見つめた散文集
詩的な散文を通じて、主人公の「私」が亡くなった姉への思いを綴る。純粋無垢なイメージがある「白いものたち」がさまざまな詩的な文章に登場し、生と死や記憶と喪失の本質を読者に問うている。
「白いものたち」が主人公に姉を想起させ、その過程で自らの存在意義についても思いを馳せる。思わずページをめくる手を止めて思索にふけってしまう示唆的で哲学的な詩やエピソードにあふれた本書は、読者に訴えかけるものも大きいだろう。
人は過去をどう追憶し、前を向くべきか
生きていれば、誰しも悲しい出来事に遭遇するものだ。ある時はその悲しい感情に蓋をして必死で前を向こうとしたり、また別の時は悲しみで胸がいっぱいになり感情が露わになる時がある。
だが忘れ得ぬその悲しい出来事はどのように追憶されるのだろうか。本書は姉の死に直面した主人公が故国を離れ、娘と共にワルシャワに移住するところから物語が始まる。
そこで白い雪、白い花、白い紙などさまざまな「白いものたち」に出会いながら、自身の喪失感を癒しながら、自分とじっくりと向き合う。その過程で、過去のトラウマとの上手な向き合い方を教えられた。
自分の体が(われわれ全員の体が)砂の家であることを。
絶えず壊れてきたし、壊れつつあることを。
指のあいだをひたすら滑り落ちていく、砂だということを。
(『すべての、白いものたちの』本文より引用)
人はそんなに強くない。深い悲しみに襲われたとき、一人で抱え込んでいては精神が崩壊する。昨今、メンタルヘルスの重要性が高まっているが、強みだけでなく弱みも堂々と人に打ち明けられる世の中になってほしいものだ。
ある記憶は決して、時間によって損なわれることがない。苦痛もそうだ。苦痛がすべてを染め上げて何もかも損なってしまうというのは、ほんとうではない。
(『すべての、白いものたちの』本文より引用)
とても悲しい出来事があり、その時の記憶が残り続けるとしても、それまでの嬉しい記憶までも奪い去ってしまうものではないのだ。悲しい出来事があったのならば、その分楽しい思いもしてきたし、これからしていけばよいと少しでも前を向ける一節のように感じた。
未来は明るいか
本書は決して過去の悲しい感情に沈溺してしまう物語ではなく、未来への希望を見出せる散文で溢れている。
日々は完全な光にも完全な闇にもなれずに、過去の記憶に揺さぶられている。反芻できないのは未来の記憶だけだ。形のない光が彼女の現在の前に、彼女が知らない元素でいっぱいの気体のような何かになって、ゆらめいている。
(『すべての、白いものたちの』本文より引用)
確かに過去は消えない。消せないからこそ、反芻して反省や後悔をしたり、反対に成功体験の余韻に浸ったりする。だが未来は誰にも予測できない。だからこそ人は未来を不安に思う。
そんな不確かな未来を決めるのは今をどう生きるかにかかっているのではないだろうか。「今」の積み重ねが未来を形作る。
自分の体験でも、日々精一杯努力できていると胸をはれる時は未来は怖くなかった。一方でついつい楽な方へと気が向いてしまう時は、自信が持てず未来への不安が大きかった。
言うは易く行うは難しだが、当たり前のことを当たり前に出来ることこそが明るい未来へつながる唯一の道なのではないだろうか。
著者紹介
ハン・ガン
1970年、韓国光州広域市生まれ。延世大学卒業。1993年、詩人としてのキャリアをスタートさせ、翌年、短編小説『赤い碇』で作家デビュー。代表作『菜食主義者』は韓国で最も権威ある文学賞であるイ・サンヌ文学賞を受賞し、英語版がイギリスのブッカー賞に選出されたことで世界から注目される。歴史上の出来事をモチーフに過去のトラウマや生命の儚さを描く作風で知られ、2024年にアジア人女性として初めてノーベル文学賞を受賞した。