周 永河 著 丁田 隆 訳 慶應義塾大学出版会 刊
飲食人文学者がひもとく朝鮮半島激動の100年メニュー
数ある外国料理のなかで、韓国料理は私たちにとって、いちばん身近な存在といっていいだろう。韓国式焼肉やキムチにいたっては、すっかり日本化してもはや異国感も薄い。近年、韓国のエンタメや文化がどんどん日本に入ってくるなか、巻き寿司よりも、キンパを食べる頻度のほうが高い人も少なくないはずだ。
本書『食卓の上の韓国史』は、私たち日本人にもなじみ深い韓国料理のメニューが、20世紀という激動の100年に、どう作られ、食べられてきたかに肉薄していく食の韓国近・現代史だ。著者は、韓国を代表する人文学者で、日常である「飲食」を文化や歴史の視点から眺める「飲食人文学」を提唱する周永河氏。
朝鮮・日本間で江華島条約(日朝修好条規)が締結され、朝鮮半島に、日本人をはじめ多くの外国人が流入しはじめる1876年から、日本の植民地支配と解放、第二次世界大戦や朝鮮戦争、都市化を経て、本格的なグローバル化時代に入る1990年代までを7部構成でカバーする。
本書で扱っているのはまぎれもなく食の歴史だ。だが、読みはじめた私は、日記を見られたかのようにどぎまぎしてしまった。まるで自分のことを言われているような気がしたのだ。 冒頭、韓国料理の「伝統」や「原型」を追い求めるメディア(とその向こうにある視聴者)に少しうんざりしている周先生の姿があり、ギクッとさせられた。
「食の歴史はエピソードの墓場ではない」と喝
周先生は、いきなりこう断言する。
韓国料理の「純粋で偉大な」歴史——わたしにとってそれは、興味の外にある。
『食卓の上の韓国史:おいしいメニューでたどる20世紀食文化史』「発刊によせて」より引用
え、えっ、どういうこと?
歴史の表面的なデータそのものより、人びとがどう食べてきたのか、なぜその料理を作って、食べるほかなかったのか、その道のりこそが重要だということなのだ。食は、現在進行形で今この瞬間も作られ、人びとの口に入り、変化している、つまり、私たちとともに生きているといっていいのかもしれない。
今わたしたちが食べている白菜が、一〇〇年以上前の料理書に出てくる白菜と同じものだと断言できるか。また仮にそれが復元できたとして、当時の人びとの気持ちはどうか。キムチにこめた気持ちも同じなのか。
(中略) 食の歴史はエピソードの墓場ではないのだ。そこには経済があり、政治があり、社会がある。
食の歴史に真正面から真摯に向き合う先生の姿勢に圧倒されながら、つい「料理の起源」を考古学のロマンのように追い求めて、肝心なことを忘れがちになってしまいがちな自分自身を振り返った。
「①古い文献記録であっても疑うこと」から始まる、周先生の「食の歴史研究法」第14か条が含まれた日本語版の序文は、本書の試し読みとして、出版元である慶應義塾大学出版会のnoteで全文公開されているので、興味のある方はぜひ読んでほしい。
本書に登場する料理は、ビビンバ、クッパ、冷麺、キムチ、ソルロンタン、マッコリ、キンパ、参鶏湯などおなじみのものから、ソガリメウン湯、全鰒炒、蕩平菜など初めて知るものまでさまざま。そのなかから特に印象に残ったメニューを紹介しよう。
実は冬の食べ物だった冷麺
「食の歴史研究法」第14か条の2番目に挙げられているのが「食材の季節的属性を考慮すること」。関連ある料理として日本でも人気の冷麺が紹介されている。
実は冷麺は、夏に氷が確保できるようになるまで、冬の味覚だったというのだ。京城(ソウル)や平壌で夏の名物となったのは、文字通り冷たい麺にするための製氷技術の発達と、氷を長期保管できる冷蔵施設ができた1910年代に入ってかららしい。 よく考えてみたら当たり前のことなのだけど、氷が貴重なものではなくなってしまった現代においては、本来の「食材の季節的属性」はすっかり頭から抜けて落ちてしまいがちだ。
一〇月、西関に一寸ばかり雪が積もれば、門に二重の幕をかけ、ふわりとした毛布を床に敷いて客を呼び込んでは、冠型の鉄鍋で、薄切りのノロ鹿の肉を焼き、長い冷麺に白菜漬けをあしらう。
『食卓の上の韓国史:おいしいメニューでたどる20世紀食文化史』、「5 麺屋の看板メニュー、冷麺とマンドゥ」より引用
本書で紹介されている、冬に冷麺を食べる姿を詠んだ丁若鏞の詩の風情は、「こたつでアイス」的に格別なものであったかもしれない。だが暑い時期に冷たい食べ物で涼を取りたくなるのも当然だ。冷麺の夏の大流行は、氷以外のもう一つの問題に直面する。そこに意外な形で日本の有名食品企業が、大胆に関わってくる話も非常に興味深く、当時の日本と朝鮮の関係を改めて知ることになった。
今や幻の朝鮮白菜キムチ
冷麺に欠かせない材料の一つがキムチ。さきほどの丁若鏞の詩に出てくる「白菜漬け」がキムチだったかどうかはわからないが、日本では「キムチ」=白菜キムチというイメージがある。韓国でも同様らしい。
そのおなじみの白菜キムチの白菜が、在来種で半結球の朝鮮白菜から、中国から入ってきた結球白菜(胡白菜)に取って代わられ、今に至るという話は全く知らなかった。
19世紀後半、中国から朝鮮への集団移住がはじまり、胡白菜も一緒に入ってきたのだという。その後、白菜キムチの全国的な人気に合わせ、大量生産時代の到来と共に、在来種より収穫量が多く、扱いやすい胡白菜が次第に主流となり、今や自分で栽培しない限り朝鮮白菜は手に入らなくなってしまったらしいのだ。
柔らかく、ウマミたっぷりの朝鮮白菜のキムチをいつか食べてみたいものだと思った。
自分の視点で食の歴史を見つめてみよう
周先生は、本書をこんな言葉で締めくくっている。
正直に言えばわたしは本書を終えるにあたり、恐怖を感じている。本書で明らかにした食の歴史が、もしや読者にとっての「正解」になってしまわないか。
(中略)
本書は、韓国の食の歴史に正解を提示するものでなく、ただ、食を通じて韓国社会を知る視点を提案したにすぎない。生物学における食の作用は物質的なものだが、文化における食にこめられているのは、人の思いなのである。
『食卓の上の韓国史:おいしいメニューでたどる20世紀食文化史』エピローグより引用
つまり、この本に書いてあることだけが正しいと押しつけるわけでなく、読者が過去の人びとに思いを馳せ、寄り添ってこそ、見えてくるものがあると教えてくれている。厳しくも温かい周先生の言葉は文字どおり五臓六腑に染みわたった。
自分なりの視点で、日本の、アジアの食を見つめ直してみたい。そして、本書執筆のきっかけとなった『飲食人文学―食からみた韓国の歴史と文化』(2011年)(未邦訳)も機会があればぜひ読んでみたいと強く思った。
著者紹介
周 永河(チュ・ヨンハ)
1962年、慶尚南道・馬山市生まれ。韓国学中央研究院韓国学大学院教授(民俗学)。メディアでの活動も活発。著書に、『絵のなかの料理、料理のなかの絵』 (2005)(未邦訳)、『飲食人文学―食からみた韓国の歴史と文化』(2011)(未邦訳)、『食卓の上の韓国史』(2011)。日本の雑誌『WORKSIGHT[ワークサイト]23号: 料理と場所 Plates & Places』 (2024)にも食エッセイを寄稿している。