カン・ファギル 著 小山内園子 訳 白水社刊
不安と苦しみ、そして、救いは……
韓国女性作家のカン・ファギルの短篇集『大丈夫な人』に収められた全9篇には、それぞれ状況は異なるが、不安な気持ちや不安定な生活を送る人々が描かれている。そんな人々に救いはあるのか。作中人物の不安、苦しみ、時に恐怖は、巧みな手法で読み手に共有されていく。
この短篇集の表題にもなっている「大丈夫な人」。一組の婚約したカップルが、彼が田舎に持っているという家を見にドライブに出かける。穏やかに始まったドライブだったが、ある瞬間、彼女の頭の中で小さな白い光が点滅し、ふと疑問がわく。疑念、不安、一抹の恐怖といった感情は、車内という密室空間でさらに大きくなっていく。ようやく目的地が見えてきたところで、物語は終わる。
不安と葛藤
物語の冒頭、いきなり読み手の心はかき乱される。
先週の日曜日、彼が私を突き飛ばした。
(短編集「大丈夫な人」収録「大丈夫な人」より引用)
そして、その時の状況説明が続き、もう少し読み進むと、「めぐり来る春、私たちは結婚する。」とある。読者の頭の中は、これは恋人間のDVなのか、そんな目に遭わされたのに、本当に結婚する気なのかと、混乱してしまうだろう。その一週間後、主人公の「私」は、彼の所有する田舎の家を見に行くため、彼の車の助手席に座っている。体に負った傷の痛みに耐えながら。
この時点で、こんな彼と結婚して本当にいいのか、大丈夫なのかと、不安を感じているのは、「私」よりも、むしろ読者のほうではなかろうか。当の「私」は、停電が起き、あれは「アクシデントだった」と言っている。「彼」も、「すまなかった」と謝っているが、読者の警戒心は高まり、何か腑に落ちないものを感じてしまう。
助手席に座る「私」は、突き飛ばされた日のことを思い返し、二人が出会った頃のことも思い出す。時系列にとらわれず、過去と現在を自由に行き来する「私」の思考の中に、読者はいつの間か引きずり込まれ、二人の生い立ちや人物像を知り、二人の関係性を理解していくことになる。
すると、突然、「私」の頭の中で、小さな白い光が点滅するのだ。
どうしてあの日、よりによってどうして停電だったのだろう。
(短編集「大丈夫な人」収録「大丈夫な人」より引用)
理想への執着
突き飛ばされて体に負った傷の痛み、車内の暑さ、生臭いにおい、車内で「私」が感じ、さらに発見したもの、それらすべてが、「彼」への疑念を大きくさせていく。道に迷ってたどりついたのが廃墟となった屠畜場というのも、嫌なものを予感させる。この物語を読み進んでいくと、疑念と不安が、読者と「私」の間で共有されていく仕掛けになっている。
そして、疑念は、「彼」だけではなく、「私」自身へも向けられる。なぜ「私」は、この関係と状況を、さらには、自分の未来を、もっとシビアに考えないのか。
「私」は、彼と付き合い始めた頃を思い出し、彼のような、余裕のある「大丈夫な人」になりたかったと言っている。彼とつきあうことになり、友達に羨ましがられたとも語っている。彼と一緒にいれば、自分も「大丈夫な人」になれる、他人から見た理想の人生も歩むことができると考えた結果が、現在進行中のドライブなのだった。
この韓国の小説を読んで一つ気付くこととして、階段から突き落とされたことが、アクシデントであろうがなかろうが、「私」は彼の暴力を招くようなことは、一切していないことが挙げられる。もし、それを暴力と断定するのであれば、「私」の理想への憧れを逆手にとった精神的な支配関係が巧妙に築かれ、「私」の憧れへの執着が、彼に利用されるようになったと考えられるだろう。
もしそうであれば、ある意味、このような支配関係は、暴力が存在しない場合であっても、あるいは、男女の立場が逆になったとしても、この世には無数に存在している。言い換えれば、何らかの理由で、一方的に弱者と定義されてしまえば、定義した側から支配を受けることになってしまう。
本作に収められた短篇作品には、様々な形式の支配が読み取れる。
開かれた結末
カン・ファギル作品は、物語の終わりを読者に委ねる「開かれた結末」を取ることが多い(後略)
(短編集「大丈夫な人」収録「訳者あとがき」より引用)
表題作「大丈夫な人」の結末は、実ははっきりせず、読者は最後の頁で、急に置き去りにされてしまう。そこから先は、読者の想像に委ねられているのだ。そんな置き去りにされた気持ちも含め、ぜひとも、自分の想像した結末を、他の読者と意見交換してほしい。
著者紹介
カン・ファギル(Kang Hwagil/강화길)
1986年、韓国全州市に生まれる。2012年、短編小説「部屋」でデビューし、2016年に短編集『大丈夫な人』を発表。2017年に初の長編『別の人』を発表し、第22回ハンギョレ文学賞を受賞。2020年には、短編小説「飲福」で第11回若い作家賞大賞を受賞した。韓国フェミニズム文学の代表作家。