崔 岱遠 著 川 浩二 訳 平凡社 刊
町中華、ガチ中華、チーフォ中華?
吃貨(チーフォ)とは中国語で「くいしんぼう」を意味する言葉だ。「美食家」や「食通」のようにきどった響きでなく、「食べることが好きで、1日中食べることばかり考えている人」という意味合いの比較的新しい言葉で、中国全土のグルメたちが自嘲気味にそう名乗ったり、互いを呼び合ったりしているらしい。
2014年に中国で出版された本書『中国くしんぼう辞典』の原題は『吃貨辞典』。
膨大な数の見出し語が並ぶ通常の辞書ではなく、「家で食べる」「街角で食べる」「飯店で食べる」の三部構成で、見出し語となる計83品の料理の解釈や食べ方、歴史やいわれを「滋味あふれる物語」として紹介する。
分量が示されたレシピはないが、大まかな作り方はわかる。また、言及される料理は250品以上。さらに配列も語順ではなく、「腹に一物ある」筆者のこだわりが見られるのも面白い。
それぞれの土地で長く愛され、人々の心に根づいた食べ物は「文明の根本」であり、「食べたときの気持ちや情緒」や「心の中をめぐる滋味」こそ「この世の真味」だと説く。それを無数の吃貨たちと共有するのが本書の目線なのだ。巻末には中国全土を食べ歩く際役立つよう、主材料別の登場料理一覧表が地域名とともに記載されている。
巷で話題の町中華VSガチ中華の向こうにある、いわば「吃貨中華」の世界を覗いてみよう。
「紅焼肉」で中国各地の家庭料理を巡る
筆頭に来るのは紅焼肉、豚の角煮だ。「中華の大地の北から南まで、豚肉を食べる所でさえあれば、どこの家の嫁でも熱々に湯気の立った紅焼肉を作れる」という中国を代表する家庭料理なのだ。
山東風、上海風、蘇州風、醤油が入らない毛沢東好みの湖南風、杭州名物の東坡肉、岩茶で下煮した風味豊かな福建省武夷山の茶農家紅焼肉も登場する。とにかく、地域の違いが全面に出る料理ということだが、きっと各家庭でも味わいが少しずつ異なるのだろうと想像する。
そもそも「家」という漢字は「住む場所を示すかんむりの下に一頭の豚がいる」様子を表しているとあり、なるほど!と思った。
『味の台湾』と『中国くいしんぼう辞典』の読み比べ
以前、台湾グルメのバイブルともいえる、焦桐著『味の台湾』の書籍レビューを紹介した。台湾の味とはなにかを深く考察しながら、焦氏自身の胃袋、ひいては生活に入り込み、台湾の食文化だけでなく、彼の人生まで垣間見られる形がユニークだった。
一方、本書は、崔氏の案内で中国大陸を一緒に旅し、あちこちで食べ歩いているような距離感で、見知らぬ町や食べ物が続々と目の前に映像として浮かんでくるような解像度の高さが楽しい。本書の執筆と平行して、中華圏最大のSNS「新浪微博」で、美食に関する投稿を数万人ものファンと共有してきたグルーブ感が伝わってくるようだ。
中華鶏料理の真髄、「白切鶏」
中華圏グルメの二大案内書ともいえる本書と『味の台湾』。どちらにも登場するのが、「白切鶏」<蒸し鶏>(『味の台湾』では「白斬鶏」)である。
『味の台湾』では、焦氏が大学時代につきあっていた客家出身の彼女の実家を初めて訪れた時に出されたという料理だ。親戚が集まるなか、焦氏は無言で、その場にたった一人になってもひたすら食べ続けたというエピソードが紹介され、それほどまでに「うまい」料理なのだと印象に残った。
一方本書では、幾千種もある鶏料理のなかで、「鶏そのものの味を味わおうと思えば、白切鶏を超えるものはない」と紹介されている。あの『随園食単』でも鳥料理のトップに君臨していると。なかでも、海南島の文昌鶏が最上であるという。世界各地で人気の「海南鶏飯」は、白切鶏とその最高のお供である鶏油飯を組み合わせたものなのだ。
この白切鶏、現代に残る「数少ない丸煮料理の一つ」らしい。中国の歴史のなかの丸煮料理は、「上古の祭祀においては、丸のままの牛、豚、羊を鼎のなかで煮、大皿にのせて、それぞれ太牢、中牢、小牢と呼んだ」というたいそうダイナミックなものだったようである。
また清代の祭祀にも肉の煮物は欠かせないものだったことを知った。
清の皇帝の寝室で作られた「白煮肉」
「白煮肉」<豚のゆで肉>の章は興味深い記述で始まる。
清代の皇帝が結婚したときに使った寝室、故宮の坤寧宮には、大きな鉄鍋が三つも置かれているというのだ。
まさか皇后陛下がここで肉を煮るとでもいうのだろうか。
実はそのとおりなのだ。清朝の決まりによれば、坤寧宮はシャーマニズムの祭祀の場所であり、豚肉を煮ることはその中でも重要な儀式であった。
(中略)
祭祀のあとに下げた肉は無駄にせず、宮中の侍者たちに分け与えられた。(『中国くいしんぼう辞典』収録「白煮肉」より引用)
当時、煮る際に調味料は使わず、塩を「まく」のみで、しかも直接手にとって食べるものだったという。その白煮肉は今、一般庶民向けの家庭料理になって、北京の夏の風物詩として残っているというから面白い。
「ぱんと手を打ちゃ、六月六日、ばあちゃんバラ肉煮るのが好き⋯⋯」
六月六日とはおそらく旧暦。現在の暦でいう6月末〜8月初旬で、中国では一年で一番暑い時期とされるようだ。
現代の白煮肉は調理時に味つけをし、「透けるほどの大きな薄切りに切り分け」て食べる時にはタレもつけるのでご安心を。
実は崔氏、紫禁城の近くで生まれ育った生粋の北京っ子。北京ならではの食の風情が各所で感じられるのも本書の面白さである。
崔氏の故郷、「老北京」の味わい
「北京以外にはない食べ物」として紹介されるのは、「麻豆腐」。四川料理の代表格、麻婆豆腐のことではない。緑豆春雨を作る際に出るおからのようなものを炒めた料理で、大豆は使われていない。その味わいは「天下に唯一無二の美味」、西太后の好物でもあったとか。
もうひとつ、興味をそそられた老北京の味わいは、「炒肝児」<豚モツのとろみ煮込み>。朝食のおなじみで、豚肉の包子との相性が良い。気になったのはその食べ方である。
一杯の温かな炒肝児を食べるときに、その食べ手がもし箸も匙も使わず、片方の手で碗の底を支え、親指を押し出し四本の指を軽く添えて碗をゆっくり回しながら、口を碗のふちについてチュルチュルと吸い上げていたなら、きっと彼は生粋の北京っ子だろう。
(『中国くいしんぼう辞典』収録「炒肝児」より引用)
いつの日か北京で実際に目撃したい。もちろん、自分でもそうやって食べてみたい。
フードコートの片隅で食べた「蘭州牛肉麺」
本書を舐めるように読んだ翌朝、にわか吃貨となった私は、とあるフードコートの蘭州牛肉麺屋に向かった。頭にはこの文章があった。
早朝の太陽がうねうねと続く黄河を照らし出し、あたかも九天の上からひらひらと落ちてきた銀系の衣のように、起き出したばかりの蘭州の街にかかっていく。街角にある大小の牛肉麺屋はもう満席で、老若男女がおのおの牛大碗を抱えて、その滋味を楽しんでいる。
(『中国くいしんぼう辞典』収録「牛大碗」より引用)
牛大碗とは、蘭州での呼び名で、彼の地の人々は三日食べないと落ち着かないらしい。
その手延べ牛肉麺は、「盛りつけた碗の中でぴんと立つ」ほどのコシとしなやかさが特徴。ただ、その食感は「天から降る黄河の水から来たもの」であり、「海抜が高く気圧が低い」ために沸点が100度以下の蘭州の水だからこそ可能なコシなのである。今私が食べている蘭州牛肉麺とは全くの別物であることは承知の上だけれど、それでも、蘭州の情景を想像しながら食べる牛肉麺は格別だった。
なお、本書と『味の台湾』の翻訳は、どちらも中国語翻訳者・文学者の川浩二氏の手によるものである。川氏の、粋で味わい深い日本語で両方を堪能できたのは、この上ない幸せだ。
興味のある方は、川氏のインタビュー「食文化を通して見る中国と台湾」をぜひ読んでいただきたい。
著者紹介
崔岱遠 (サイ・タイエン)
文筆家、書籍編集者。1960年代末、北京生まれ。「人民日報」「新華デイリーテレグラフ」「北京晩報」「香港商報」などにコラムを執筆し、テレビやラジオのグルメ番組にも出演する。他の著書に、北京の食文化に焦点をあてた『京味儿食足』、果物に関するエッセイをまとめた『果儿小典』、中国内外の麺を語る『一麵一世界』などがある。すべて未訳。