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書籍レビュー「観光」

ラッタウット・ラープチャルーンサップ 著 古屋美登里 訳 早川書房 刊

タイを舞台に生きることの切なさ厳しさを感じさせる短編集

哀愁と貧しさ、生きづらさへの怒りや悲しみとあきらめの境地。タイの景色やタイ人の心情・生活を描いていながら、すべての人間に共通するものがある。

観光客のアメリカ人の少女ばかりを好きになる少年を描いた『ガイジン』。父親もアメリカ人だった。父も少年が愛した少女たちも、自分の国へ帰ると何も連絡をくれなくなる。

徴兵される青少年を決める抽選へ友人と一緒に行く『徴兵』。親がわいろを使って少年が徴兵されないようにしたことを友人に知られたらどうしようという不安にさいなまれる。

いかがわしいカフェでの少年の体験を描く『カフェ・ラブリーで』。主人公は父親を失い、母親は言葉を話さなくなり、兄をしたいながら貧しい暮らしをしている。

進学のため家を出る予定の息子が失明しかけている母と海のきれいな島へ観光に出かける『観光』。近いうちに確実に失明する母は、息子に家を離れて学校へ行けと言う。

息子がタイ人と結婚したためタイで暮らすことになった『こんなところで死にたくない』。脳梗塞で体が不自由だし、息子の妻や孫たちとはうまくいかず、タイの風土にもなじめず苛立ちを感じている。

闘鶏にのめり込む父の姿を少女の視点から描いた『闘鶏』。父が大負けした翌日、少女は父の鶏を残らず絞め殺してすべてを今すぐ終わらせたいと願う。

「観光」にはこれらを含む7つの短編が収められている。状況は違えど、だれでも直面する可能性のある普遍的な問題や悲しみが描かれている。そして、読者にその問題を自分事のように考えさせる構成や描写の緻密さや巧みさがある。

構成の複雑さや多角的視点がリアリティを与える

この作品のすばらしさは、ひとつの視点からひとつの話を進めるのではなく、様々な要因が複雑にからみあっている点だ。

『カフェ・ラブリーで』では“兄の顔を思い出し、11歳にもどる”と過去を回想しながら物語が進む。しかも、“燃える兄の顔”の夢を見ているところから始まるため、どういうことだろうと、先を読まずにはいられなくなる。ある土曜日、兄に「連れていって」と頼むが、「どうかな」とはぐらかされ、さらに、そのひと月前の誕生日の出来事や9歳の時の思い出に戻り、どこへ連れていってと言っているのかなかなかわからない。ようやくカフェ・ラブリーへ行く場面になり、それまでの逸話ともつながっていく。過去と現在を少しずつ明らかにしていく手法によって、読者は徐々に作品世界へ引きこまれていく。

『闘鶏』では、父親の闘鶏の問題だけではなく、複数の問題が複雑にからみあっている。父親を破滅に追いこもうとするリトル・ジュイは町の実力者ビッグ・ジュイの息子で、ビッグ・ジュイは昔、知的障碍者の父親の姉をもてあそび、不幸な死に方をさせたこと、主人公の少女がリトル・ジュイにつきまとわれて恐怖を感じていること、母親が縫製の仕事をさせてもらっている相手が無茶な要求をしてきても、他の仕事がなく黙って受けいれるしかないこと、友人との複雑な関わり、リトル・ジュイに強い鶏をもたらしたフィリピン人のラモンの思いなど。物語の初めのほうで、主人公は夜になると男たちに襲われる恐怖にとらわれるのだが、読み進めることでその理由がわかってくる。

人生にはいろいろなことがあり、決して単純なものではない。このように多角的視点から物語を描くことで、読者は状況の複雑さ困難さを理解し主人公の気持ちに寄りそえるようになる。

また、主人公の少女が三角法の試験のための勉強をしながら、次のようなことを考える。

               「観光」収録「闘鶏」本文より引用)

これも大変なことがいろいろ積み重なった結果、このような思いに至ったということだろう。どうすることもできない残酷な人生に対する憤りを感じる。「悲しい」「つらい」という直接的な言葉を使わずに登場人物の気持ちを感じさせる巧みな表現がいくつもある。

それでも生きていくしかない人生を感じさせる終わり方

物語の最後で、『ガイジン』では木の上からマンゴーの実を投げ続けるし、『こんなところで死にたくない』ではバンパー・カーを乗りまわして無茶をする。自分を理解しない者たちへのささやかな抵抗と自尊心の表れだろう。『カフェ・ラブリーで』では、高速道路をバイクでスピードをあげながら走っていく。どれも映画のワンシーンのようで、情景が頭に浮かび、すかっとした気分になる。人生の真っただ中で、問題は解決していないが、これからもこうして生きていこうという決意を感じる。

特に『観光』は情景描写が美しい。明け方に島の砂州を渡って向こう側の小さな島にいる母を見つけた様子が描かれる終わり方。その砂州はじきに海に沈んでしまう。

            「観光」収録「観光」本文より引用)

主人公は進学のために母のもとを去るのか、母といることにするのか結論は出ていないが、それでも生きていこうという気持ちを暗示している。

「観光」の作品はどれも、必死に生きようとするさまざまな人間の人生の断片を描いている。

画像ソース: beautiful beach on Ko Lanta, Thailand – Strand by dronepicr from Wikipedia Commons


著者紹介

ラッタウット・ラープチャルーンサップ

1979年シカゴで生まれ、タイのバンコク育ち。タイの有名教育大学およびコーネル大学で学位を取得後、ミシガン大学大学院のクリエイティブ・ライティング・コースで創作を学び、英語での執筆活動を始める。2005年に「観光」でデビューすると、英米の有力紙から大絶賛される。2006年には文芸誌『GRANTA』により才能ある若手作家のひとりとして名前を挙げられ、また、全米図書協会により「35歳以下の注目作家」に選出された。

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飯野眞由美

立教大学文学部卒。洋書卸売会社勤務を経て、カルチャーセンターや予備校で英語を教えはじめる。英語講師・翻訳家。「スパイダーウィック家の謎」シリーズをはじめ20冊ほど翻訳書がある。

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