権正生 著 卞記子 訳 てらいんく 刊
度重なる逆境にも負けず、生きることと愛することをあきらめなかった少女

貧困と暴力に苦しみながらも、兄弟姉妹の面倒をみるモンシル。常に当事者の立場になり、人の痛みがわかる人間に成長する。ふたつに分断された朝鮮半島が一つの国になることと戦争を起こさない世の中になることへの著者の願いがこめられた作品。
世界大戦で日本が負けて解放されても朝鮮には貧困にあえぐ者たちがいた。貧しさに耐えかねたモンシルの母は夫を捨てて別の男に嫁いだ。一緒に連れてこられたモンシルは、その家でこき使われ暴力をふるわれる。見かねた父方の伯母がモンシルを連れ戻し父と暮らすようになったが、相変わらず貧しく、父からも暴力をふるわれる。新しい母が娘を生んで亡くなり、父は朝鮮戦争にかりだされたため、10歳にもならないモンシルが赤ん坊を育てる。
戦争が起こるのはなぜか?
日本から解放された朝鮮は、自国の文化を発展させて幸せになってもよいはずだったのに、朝鮮戦争が起こり、同じ民族同士で殺しあうようになってしまった。戦争が起こるのは、つきつめれば人の「欲」のせいだとモンシル(=著者)は考える。
確かに、2026年現在起きているいくつかの戦争も、「欲」が原動力だ。朝鮮戦争が始まった大変な時代、大人たちはどんなことをしても人より多く物を手にいれたがったという。そして……
六・二五(一九五〇年六月二五日、朝鮮戦争が起こった日)という戦争も、このような大人たちの欲のために起きた戦争だ。大人たちは個人で奪ったり奪われたりするより、もっと大きな集団で奪い合う。それが、さらに大きくなると国を奪うための戦いになる。
(「モンシル姉さん」本文より引用)
日本が占領していた地をソ連とアメリカが占領したくて争いになり、朝鮮まで北と南に分かれて、成人男性のほとんどが争いあった。「国際政治の覇権争い」に朝鮮民族全体が巻き込まれた結果だ。二つの大国に朝鮮民族が利用されたようにも見える戦争だが、その渦中にある当事者はそのことに気づきにくいのだろう。
民族が争いあっていることについて、モンシルたちが勉強をしに行った国民学校の崔先生が意味深いことを言っている。
「今、南北が分かれておたがいに争っていますが、それも他人の操り人形としてではなく、ほんとうに自分たちの考えを言い合っているのかどうかを確かめねばなりません。わたしたちは、何も知らないでいると、いつの場合でもだまされて終わりです」
(「モンシル姉さん」本文より引用)
ソ連やアメリカという強い力に頼ることが最善なのか、その時々の流れに流されず、自分でよく考えて正しいことを見ぬいていかなければ、気がついたら大変なことに巻きこまれていたということになるのだろう。
日本が敗れた戦争も、領土を拡張し多くの利益を得ようとした侵略戦争だった。その結果生じた多くの悲劇や不幸を忘れることなく、何者かの欲にだまされないよう、現在の不安な時代に戦争を避けるよりよい道を求めていきたい。
物事の深いところを見ぬくモンシルの視点
モンシルは貧しい父を捨てた母も、母のことを死んでしまえと言った父のことも悪くないと言う。悪者はほかにいる、どこかでだれかが悪くしていると言う。そのときどきの政権を握る者に人々が翻弄され、生きることも難しくなれば、したくないこともするようになる。個人ではどうしようもない大きな力が働いて、人々を苦しめていることをモンシルは感じていたのだ。
だから、モンシルがごみの山に捨てられている黒い赤ちゃんを見つけたとき、人々はふしだら女の子供だと殺そうとするが、モンシルはかばう。おなかがすけば、ふしだら女にもなるしアメリカ兵相手の女にもなるのだと言い返す。現在の売春の問題にもつながるが、アメリカ兵やソ連兵の相手をした女性は生きるためにそうするしかなかった。人々の生きる枠組み自体に問題があったのだ。現在の諸問題にもそのような深い視点から取り組むべきだろう。
著者紹介
権 正生(クォン・ジョンセン)
1937年東京生まれ。祖国解放後10歳で韓国に帰国。韓国の国民的詩人・児童文学作家。戦争体験や長い闘病生活を通して、子どもたちへの愛情や平和への思いを作品に表し続けた。1969年『こいぬのうんち』で第1回キリスト教児童文学賞受賞。1971年『こだぬきさんちのはるむかえ』で『朝鮮日報』の新春文芸賞(童話部門)受賞、1975年『金魚の家のすももの木』で第1回韓国児童文学賞受賞。『わら屋根のある村』、『キジのかあさん』、『とうきび』、『金剛山のトラ』など、邦訳作品多数。