アヌラー・ヴィジャヤラトナ・マニケー 著 中村禮子/スーシー・ウィターナゲ 訳 段々社 刊
民族対立や開発に翻弄された1970年代のスリランカの問題を浮き彫りにした社会派小説

シンハラ語で書かれ、スリランカの庶民の生活や民族・宗教の対立の問題をわかりやすく描いた作品。本書は1993年度マクシム・ゴーリキー記念賞を受賞している。
シンハラ人優位の社会で、少数派のタミル人レンガサーミは駅前で紅茶を売ったり自転車を預かったりして、妻と年ごろの娘と細々と暮らしていた。だが町の開発で土地の値段がはねあがり、欲を出した元地主の陰謀で、娘ともども人生の歯車を狂わされていく。
そして、シンハラ人による暴動が起こると、レンガサーミと娘と娘の夫の運命は急転し、ジェットコースターのように奈落の底へ落ちてしまう。シンハラ人の「私」が友人の眼でのレンガサーミの姿を描写することで、町の変わりゆく姿やスリランカの根源的問題を浮き彫りにしている。
紅茶の国スリランカ
本書を手に取りたくなったのは、「熱い紅茶」というタイトルに惹かれたからだ。そして期待通り、物語が始まってすぐ、レンガサーミが早朝の列車に乗る客のために生姜入り紅茶を入れる描写が出てくる。
レンガサーミは、壷に入れたコインが踊り始めると、立ち上がって、カップ一杯に沸騰した湯をとり、(一部略)ガラスのコップに少しずつ注ぐ。それから、皮を剥いてつぶしておいたひと欠けらの大きな生姜を壷の中にいれるのである。たとえ朝早く家で紅茶を飲んできた者でも、レンガサーミが紅茶を入れている姿を見ていると、熱い生姜入り紅茶が飲みたくなるようだ。
(「熱い紅茶」本文より引用)
紅茶の香りまで感じられて飲んでみたくなる。紅茶といえばイギリスだが、スリランカはかつてイギリスの植民地でセイロンと呼ばれており、セイロンティーで有名な紅茶の産地だったことを思いだした。作中でもよく紅茶を飲む場面が出てくる。イギリス人に劣らず紅茶好きの国民のようだ。紅茶を飲む場面では、登場人物と共に緊張を解いてほっと一息つける。
主人公がふたり?
物語の語り手の私(エドリシンハ)と主人公レンガサーミの話が交互にときには交錯して語られる。なぜこのような複雑な構成なのかと考えたとき、「私」はシンハラ人でレンガサーミはタミル人。この物語の主題であるシンハラ人とタミル人の問題を理解しやすくするためだろうと思った。レンガサーミはシンハラ語を話しシンハラ人になりきろうと努力して生きてきた。それでも、タミル人とシンハラ人との間で諍いが起こると、タミル人だからと隠れるように暮らさなければならなくなる。両者の視点から語られることにより、民族対立への理解が進み、物語の厚みも増す。
争いや対立は破壊と悲劇しか生まない
なぜ同じ国に住むもの同士なのにシンハラ人とタミル人の間にここまで差別や対立が生じるのか? 日本人には関係のない問題のように思えるかもしれないが、日本にも少数の異民族は存在するし、外国人も住んでいる。そんな中で外国人への規制強化や権利の制限を掲げる政党が出てきている。差別意識が強くなり外国人に対する排斥主義が広まっているように感じる。この流れも同じくらい危険ではないだろうか?
対立は悲劇しか生まない。暴動や戦争は気づかないうちに破壊や殺人だけが目的になってしまう。タミル人への報復が目的だった暴動は相手かまわずになり、ついには同じシンハラ人をも襲うようになっていた。
道の真ん中のあちこちにできた焚火を見て、人びとはなお一層感情を高ぶらせた。若者たちはその後で、前もって目星をつけてあった店を幾つか順繰りに放火していった。暴徒を恐れて閉店していたアラブ系イスラム教徒の店や、オランダ人やイギリス人との混血人種であるバーガーの店も燃やされた。猛り狂った人びとが、無差別に人間や店を襲っていた。
(「熱い紅茶」本文より引用)
それでも個人の良心は存在している
他国へ侵略する国の人間でも、ひとりひとりはいい人だという話を聞いたことがある。この作品でも個人個人はいい人間なのだろうと思えた。
たとえば、外出禁止令が出た日にレンガサーミの娘が産気づき、「私」は危険を冒して産婆を呼びに行く。力になってくれた産婆は、多少なりともお手伝いをしたかっただけだと言って礼金を受け取らなかった。また、レンガサーミの避難所へ連れて行ってくれたタクシーの運転手はやはり料金を受けとらなかった。難民キャンプのタミル人たちの姿を見て、シンハラ人の運転手は自分たちシンハラ人のしたことを悔いたのだ。
このように、ひとりひとりは悪い人間ではないのに、暴動や戦争では残酷なことを無自覚にしてしまえるところが恐ろしいと思った。
著者紹介
アヌラー・ヴィジャヤラトナ・マニケー
現代スリランカ文学を担うシンハラ人女性作家。1949年、スリランカの古都クルネーガラに生まれる。首都のスリジャヤワルダナ大学でシンハラ文学を専攻、卒業後教職につく。現在も執筆活動の傍ら教鞭をとっている。学生時代から詩作を好み、79年に1冊目の詩集を発表。’88年処女小説『貴族たちの子供』でスリランカ作家協会文芸賞受賞。児童書も多く手がけ、高く評価されている。『Vasee Giya Pethman(閉ざされた小道)』(未邦訳)でスリランカの著名な文学賞「スワルナ・プスタカ賞/Swarna Pusthaka Awardsにノミネート、『Sapathni(サパトニ)』(未邦訳)ではラジャタ・プスタカ賞/Rajatha Pusthaka Awardsにノミネートされている。