ヤンシィー・チュウ 著 圷香織 訳 東京創元社 刊
生きながらにして死者の花嫁に求められた少女の運命は? 冥界の冒険ミステリー

ミステリーの要素もありながら、舞台は主に死者の世界であり、怪物のような悪鬼が登場するところはホラーでもある。そして主人公が十代の少女であるため、揺れる恋心も描かれている。さまざまな要素を楽しめるファンタジー作品。2020年にNetflixオリジナル シリーズとして映像化された。
落ちぶれたパン家の娘リーランは富豪のリン家の亡き息子ティアンチンの花嫁に求められる。だが、リーランはそのいとこであるティアンバイに心惹かれていた。ティアンチンが夜な夜な夢に現れ、リーランを死後の世界へ引きずりこもうとする。しかも、自分を殺したのはティアンバイだという。
ある日、事故で体から魂がぬけでて幽体になってしまったリーランは、(自称)死後の世界の役人アーランに出会い、冥界でのティアンチンの悪行の証拠をつかめばティアンチンから解放され、やり直せるかもしれないと言われ、冥界へ入っていく。だが、その証拠集めには多くの危険が伴った。
死者の住む冥界はどんなところか?
リーランが入っていった冥界(本書では冥ノ原と呼んでいる)は現世とよく似ているが微妙に違う。お互いの関係性に影響を受けるため、ある場所からある場所への距離感が現実とは違うらしい。霊は精神的存在のため、精神的な近さが物理的な距離となって現れるのだろうか?
また、感じの悪い者が多いようだ。中華系の人々に信仰される仏教では、現世での善行が来世を決定づけるとされている。そのため、冥ノ原は、法廷で罪を裁かれて次の行き先が決まるまでの場所なのだが、賄賂で裁きを逃れている者もいるようだ。その結果、生前に多くの罪を犯した悪人ほどそこに長く留まろうとするため、嫌なやつが多いのだろうと思った。冥界にも貧富の差があり、金がものを言う世界だ。現実世界の貧富の差や格差の問題を皮肉っているのかもしれないが、あの世へ行っても救いがないとは悲しくなる。
このような世知辛い世界で、リーランはスパイだと疑われて閉じ込められてしまう。悪鬼の取り調べを受けることになり、どんな目に合うかわからず恐怖に震える。幽体になっても痛みや空腹を感じるし、なぜか殺される危険もあるようなので、現実世界にいるときと同じように危険な状況にはらはらする。
このような世界では、もとは木彫りだった馬のチェンダナが唯一の心の支えになった。マレーシア仏教では、亡くなった者へ死後の世界で使うための物品や紙銭を燃やして送る儀礼があり、この馬はティアンバイが冥界にいるリーランのために送ってくれたものだった。
ティアンチンの悪行を探るためリン家に使用人として入りこみ、使用人用の部屋に着いたときのリーランの様子が次のように描かれている。
チェンダナは外に出しておくつもりでいたのだけれど、部屋の様子に気が滅入ったし、作法を気にしている余裕もなかったので、チェンダナをなかに引き入れた。チェンダナは頭を低くしながら、なんとか小さな戸をくぐった。すっかりなじんでいた素敵な子馬の体がそばにあると、だいぶ気持ちが落ち着いた。
(「彼岸の花嫁」本文より引用)
冥ノ原がいかに心を疲弊させる場所かがわかる。
リーランの揺れる恋心とその意味
リーランはティアンバイに惹かれており、彼との結婚を願っていた。だが、幽体となって幽霊たちと交われるようになり、冥界でさまざまな体験をする。そのような状況で危機に瀕したとき常に助けにきてくれたのはアーランだった。笠をかぶっていて顔は見えないが、人外の存在らしいことは推測できた。皮肉屋ではあるが、頼りになり、助けてもらううちに心惹かれていったのも理解できる。
さらに、自身も幽体となり、冥界で普通の人間にはありえないさまざまな体験をしたリーランは、もはや前のリーランとは大きく変わってしまったと言える。そのため、あくまでも普通の人間であるティアンバイを前と同じ目で見られなくなったのも無理はない。
この展開で、ふと『ロード・オブ・ザ・リング』のフロドを思いだした。指輪によって普通の者にはできない体験をして身も心も疲弊したフロドは、今までの暮らしを続けることができなくなり、エルフの世界(不死の国)へ旅だったが、リーランもそれと似ているのではないかと思った。リーラン自身、冥界から戻った自分のことを次のように考えている。
一度でも霊やお化けを目にした者には、必ずそのしるしが残る。ウォンにも霊は見えるけれど、わたしにいたっては、生きている人間には許されないはずの領域に足を踏み入れてしまったのだ。死者と話し、その屋敷で働き、お供え物を口にした。わたしのなかでは、ふたつの世界がゆがんだ窓ガラスのように重なり合っていた。
(「彼岸の花嫁」本文より引用)
これほど大きな変化や影響があったのだから、恋愛観だって変わるはずだ。
著者紹介
ヤンシィー・チュウ 中国系マレーシア人作家。ハーバード大学卒業。デビュー作『彼岸の花嫁』および『夜の獣、夢の少年』がニューヨーク・タイムズのベストセラーに。『夜の獣、夢の少年』は、2022年にイギリスのエリザベス2世女王の即位70周年(プラチナ・ジュビリー)を記念してBBCと読書機関が発表した英連邦の70冊の代表的な小説リストBig Jubilee Readの1冊に選ばれる。現在はカリフォルニアに家族とともに住んでいる。最新作『The Fox Wife』(Quercus Publishing) (未邦訳)がWorld Fantasy Awards(世界幻想文学大賞)2025年にノミネートされる。