呉 明益 著 天野 健太郎 訳 文藝春秋 刊
現実と幻想がアジアを駆ける自転車クロニクル

ページをめくると、稲穂が波打つ澄んだ田園風景が一面に広がった。あぜ道には「鐡でできた馬」のように大きな自転車。小さな女の子がサンカクノリで走り出した途端、一緒に飛び乗ってしまったかのように、読み進める手が止まらなくなってしまった。
かつて台北にあった巨大な住居兼商業施設「中華商場」の一角で仕立て屋を営んでいた主人公「ぼく」の家族。中華商場は1992年に解体され、その翌日に父が自電車で失踪した。父と自転車の行方を追ううち、「ぼく」は、古い自転車に導かれ、台湾が辿った百年の記憶と歴史を、時空を超えて旅することになる。2018年国際ブッカー賞候補。
『歩道橋の魔術師』の世界を自転車で飛び出す
中華商場で育った少年少女が語り合い、魔術師がいた子供時代の記憶を辿る、呉明益の連作短編集『歩道橋の魔術師』が日本で刊行されたのは2015年。冒頭にはG・ガルシア=マルケスの言葉を引用し、台湾のマジックリアリズム小説だと話題を呼んだ。
その世界とゆるくつながりながら、商場を離れ、自転車に乗って、日本軍の空軍学校があった台湾南部の高雄市岡山区や、中部・南投県埔里の蝶の森、第二次世界大戦中のマレー半島やビルマ(ミャンマー)のジャングルまで旅するのが本書だ。
表紙に描かれた2枚の精密画は、一見、不思議な組み合わせに感じる。上には銃を装備した自転車、下には気根を垂らした大木、その繁みから顔を出すつぶらな瞳の象と、鶴のような鳥が数羽、飛び立つ姿も見える。枝にぶら下がるのはオランウータンだろうか。
運命を変えた自転車の家族史
主人公は「ぼく」。かなりのヴィンテージ自転車愛好家だとすぐにわかる。物語は、日露戦争が終わった1905年、「ぼく」の母方の祖父が生まれた日にはじまる。母親の言葉によると、「ベンツに乗るのと同じだった」高価な自転車を何度も盗まれたせいで、家族の運命が変わってしまったのだという。『自転車泥棒』といえば、同名のイタリア映画を思い出す人も多いだろう。映画の中で、盗まれた自転車を探して中古市場を回ったあの父子の姿は、「ぼく」と父親に重なっていく。
本書の構成はちょっと変わっている。章と章のあいだに、「ノート」がはさまれ、台湾の自転車史をはじめ、博物誌的に自転車のあれこれが紹介される。表紙と同じタッチのヴィンテージ自転車の精密画も添えられ、小さな自転車博物館のようだ。
物語が大きく動き始めるのは、父親が乗っていた「幸福印」の自転車が20年ぶりに戻ってくることになってからだ。
メタフィクショナルな構造の面白さ
本書はフィクションだが、ところどころに、堂々と現実が顔を見せるメタフィクショナルな作りが面白い。小説家である主人公は、第二次世界大戦末期に台湾の少年が日本へ赴いて戦闘機を作る『眠りの航路』(睡眠的航線)という小説を書いたとあるが、それは著者が2007年に発表し、日本でも刊行された小説でもある。また主人公同様、著者も商場育ちだ。
チョウの翅を組み合わせた台湾の工芸品、第二次世界大戦中に日本軍が南方作戦に投入した自転車部隊「銀輪部隊」や象部隊、ビルマから中国、さらに台湾に渡り、円山動物園(現・台北市立動物園)の人気者となった象のリンオウの話はどれも史実である。臨場感あふれる緻密なディテールは、どこまでが現実で、どこまでがフィクションなのか、境目がおぼろげになった世界に読者はいつのまにか深く迷い込んでいく。
そうかと思えば、実際には別個に存在しているはずの空間や時間、アブーの洞窟、ラオゾウとアッバスが潜った古い小学校の地下、「魔物が化けた希少種のチョウ」が舞う埔里の渓谷や、マレー半島やビルマのジャングルは、次第にどこかでつながったり、重なっていくような不思議な感覚を覚えた。
多言語の共存と失語症の時代
言語も同様だ。本書は、台湾の多民族社会を反映し、多言語(中国語、台湾語、ツォウ語、日本語)を取り入れているが、逆に言語がひとつに交わる様子も描かれる。たとえば、バスアが残した、日本語とツゥオ語が混じったカセットテープについてはこうある。
ツォウ語の響きと日本語の響きはまるで山肌と風のように、あるいは樹木と寄生植物のように寄り添い、もはや分かつことができない。
『自転車泥棒』本文から引用
日本人こそ、遠い昔にツォウ族と別れ、北の方に向かったとされる伝説の兄弟マヤ(マーヤ)だと信じた長老たちの話にも重なり、興味深さが増した。
一方、著者は来日時、台湾は、終戦後から10年間くらい「失語症の時代」に陥っていたと話している(『翻訳、一期一会 (翻訳問答シリーズ)』より)。日本統治時代には、日本語で話し、表現する人たちがいて、日本語新聞まであったのに、敗戦後、全面的に禁止された。「感情を海の底にまで隠すような人だった」主人公の父親や、家族の前でも感情をあらわにしないバスアの寡黙さは、戦争に傷つき、言語までコントロールされた社会の象徴でもあるのかもしれない。
万物に魂が宿り、「野生」の自転車は時空を超える
人と動物、生き物と植物の関わりはどうだろう。ゾウだけが知る、人間との秘密めいた関わり、万物に魂が宿ると信じるツォウ族やミャンマーのカレン族、「この森には人の魂を持つ樹木が混じっている」と言うビナの言葉がジャングルに響く。
そのうち、物であるはずの自転車も生き物のように動き出す。台湾のマニアたちは、修理で新しいパーツに交換されてしまった古い自転車を「レスキュー」作業でわざわざ元に戻したり、デットストックパーツを「熟成」パーツ、部品取りを「肉削ぎ」、道端や庭に放置されている古い自転車を「野生」と呼ぶ。まさに自転車を意味する台湾語である「鐵馬(鉄の馬)」の響きそのものだ。それは、ホイールだけになった銀輪部隊の「日の丸号」が行くマレー半島の景色にも重なっていく。
ここで再び、表紙の絵を見てみると
読み終わってから、表紙に描かれた自転車と大きな樹の絵を再度見てみると、まったく異なる姿に見えてきた。そしてどちらも著者が描いたものだと知ったとき、驚きながらも納得した。彼にとっては言葉を紡ぐための筆も、絵を描くための筆も、同じなのだと。
そして思った。主人公の家族の運命を変えてしまったのは、ほんとうに自転車だったのだろうか。
最後に、本書には自転車だけでなく、台湾の食べ物がたくさん登場することも付記しておきたい。これは「ぜひ現地で本書を指さして、台湾料理を食べながら、台湾人の庶民の物語に、思いを馳せていただきたい」という翻訳者、故・天野健太郎氏の「いつものサービス」である。本書が天野氏の遺作となった。
著者紹介
呉 明益(ご・めいえき/Wu Ming-yi)
1971年、台湾・台北生まれ。輔仁大学マスメディア学部卒業、国立中央大学中国文学部で博士号取得。国立東華大学華語文学部教授。1997年に短篇小説集『本日公休』でデビュー。2011年に発表した小説『歩道橋の魔術師』は台湾でベストセラーになり、テレビドラマ化もされ、邦訳は日本でも話題となった。『自転車泥棒』は、台湾の作品として初めて国際ブッカー賞候補となる。邦訳作品は他に『眠りの航路』 『複眼人』 『雨の島』。