台湾の作家・楊双子の最新作『四維街一号に暮らす五人』は、台中市街の中心部に建つ築100年の日本式家屋「四維街一号」と、そこで共同生活を送る5人の台湾人女性(大学院生の乃云、家家、小鳳、知衣と30代の大家・安修儀)を巡る物語だ。出身地も、文化的背景も家庭環境も異なる5人は、キッチンを共有し、さまざまな料理を分かち合う。

『四維街一号に暮らす五人』
楊双子 著 三浦裕子 訳 中央公論新社 刊
あらすじやおすすめポイントは書籍レビューにたっぷり書いたが、それだけでは語り尽くせなかったのが食の描写の魅力。読んでいるだけで、今すぐ台中に飛んであれもこれも食べたい!という気持ちに駆られることまちがいなしなのだ。
でも、(私も含め)今すぐは台湾まで行けない人のために、自宅でも気軽に楽しめるプチ『四維街一号に暮らす五人』ワールド・グルメ編を提案したい。
その1: 100年前の台湾料理「芋泥羹」に挑戦
四維街一号2階のラウンジの奥、古本が積まれた一角で「宝探しのように」乃云が「掘り当てた」のが、1912年に刊行された『再販 臺灣料理之栞』だ。これは、当時台湾総督府の通訳官だった林久三が日本語で記した台湾料理のレシピノートである。
シャイで人付き合いが苦手な乃云は、なかなか四維街一号に溶け込めないことを悩んでいたが、勇気を出して、この本の中から「芋泥〔タロイモのペースト〕のおやつ」つまり「芋泥羹」を作ってみんなに振る舞うことを宣言する。
レシピはシンプル極まりない。
里芋を洗ひて皮を剥き、蒸篭にして蒸し、能く搗き砕きて餡の如くなし、それに猪油と白砂糖食鹽を少量を加へ、湯にてどろどろ*に溶いて煮て、丼に盛るものであります。
*どろどろの後半はくの字点
『臺灣料理之栞』本文より引用
材料も同様にごくごくシンプルだ。
- 芋(里芋):大三個
- 白砂糖:五十匁
- 猪油(豚の油):少々
- 食鹽:少々
匁は昔の重さの単位(1匁=約3.75g)で、五十匁は187.5gになる。芋は、日本の里芋ではなくタロイモだが、現在のタロイモは1個でも大きいものは1kg以上ありそうだ。
乃云も「現在の芋頭はかなり大ぶりだから、買うのは一個にした」と言っているので、当時も「1キロのタロイモに対して五十匁の砂糖」くらいのバランスだったのではないだろうか。
実は芋泥羹を作るのは2回目。湯の量がわからず、前回はちょっとゆるめになってしまった。乃云が作った芋泥羹は、「柔らかい芋泥を白い大皿に盛ると、灰紫色のぽったりした塊になった」とあるので、湯の量は減らした方が良さそうだ。
もう一点、前回はラードでなく、たまたま家にあった牛の脂、タロー(ヘット)で代用したのだけど、レシピ通りラードを使って比較してみたかった。
餡のように滑らかにする根気がなく、ちょっと里芋のツブが残ったけれど、今回は割とうまく「ぽったりした塊」になったように思う。
「浅めの白い碗」を用意した乃云にならって、前回は白っぽい色のボウルを使ったけれど、今回は当時の台湾在住の日本人家庭を想像して古い小ぶりのお茶碗によそってみた。

味見してもらったら、「鹿児島の軽羹みたいな味だね」という感想があがった。食感も形状も料理法も違うけれど、軽羹には山芋が入るので、芋っぽい風味が近かったのだろうか。
どちらにしても素朴な甘さに懐かしさを感じるような味わいだ。ヘットよりラードの風味の方がいい。脂を入れるとクリーミーにコクがでる。今でいうと、生クリームやバターを入れるような感覚なのかもしれない。
以下が、今回作った分量だ。
- 里芋:500g
- 砂糖:100g
- ラード:大さじ1
- 塩:ひとつまみ
- お湯:1.5カップ
お湯の量はもう少し増やしてもいいと思う。
その2: ラード目玉焼きで簡単朝ごはん
芋泥羹を作るためにラードを買ったのだが、実はこれ、もう一つのお楽しみを兼ねていた。
まずは家家の語りを聞いてほしい。
芋泥羹を作った時のラードがまだ缶に半分以上残っていて、それを使って乃云が焼いた目玉焼きは、格別に香ばしかった。卵の縁はカリカリに揚がり、白身はきめ細かく輝き、てっぺんに半熟の黄身を頂いている。醤油をひとたらしすれば、ご飯一杯はあっという間になくなる。
「四維街一号に暮らす五人」本文より引用
正直に言うと、芋泥羹よりもまずはこっちを試してみたくなったのだ。なんておいしそう!
三代続く米農家の娘である家家は、苦学生で「恒常的な飢餓状態」、つまりいつもお腹をすかせている。でもみんなに同情されるのは大嫌いで、食べ物をもらったらお返しを欠かさない。
乃云は、家家と友達になりたくて外食に誘うのだが、「あ、ごめん。あたし、外食するお金ないの。ハハハ」と断られてしまう。いろいろ考えた乃云が、家家が米、乃云が卵を出し合うのはどうかと提案すると、家家はついに同意したのだ。こうして二人は、仲良く朝ごはんに卵料理を食べるようになった。
ということで再現してみた「ラードで焼いた目玉焼きのっけご飯に醤油ひとたらし」!

実食した友人に感想を聞いてみると「普通の油で焼いたのと満足感が違う。縁のカリカリ具合と内側のしっとりさ、半熟の黄身のとろり加減も絶妙!」とご満悦。その歓びが伝わってきそうな写真も撮れた!

芋泥羹を作って余ったラードで目玉焼き。10歳からおこづかい帳をつけてる、やりくり上手の乃云になりきろう。
その3: メイソンジャーで泡立てたカフェラテ
もう一つ、本作を読みながら、やってみたくてうずうずしたものがある。それがメイソンジャーで泡立てたフォームミルクを入れて楽しむコーヒーだ。
四維街一号の住民は、皆コーヒー好きである(ただし大家はコーヒー断ちをしていて、もっぱら高梁酒や茅台酒を飲んでいる)。そして小鳳は「十段階だかに調節できるプロ用ミル」を愛用する珈琲通で、いつもみんなに美味しいコーヒーを淹れてくれるのだ。
面白いのが皆それぞれに好みが違うこと。
知衣は砂糖入り、そして家家は牛乳入りが好き。しかも家家は、牛乳を泡立ててコーヒーと合わせるのがお好みらしい。
小鳳が手際よく珈琲淹れた珈琲に合わせて、家々は「温めた牛乳をメイソンジャーに入れてシェイクし、フォームミルクを完成させる」とある。
メイソンジャーでフォームミルク!そんな手があったのか!
実は私もコーヒーはストレートでなく、牛乳を入れて飲むのが好きで、ふわふわに泡立った泡が大好物だ。だけど、メイソンジャーで作れるなんて今まで知らなかった。
それはやってみなくては!
同じような容器ならばきっと同様の効果が得られるのだろうけれど、著者がきっちりブランド名を明記しているのだから、私もこだわってメイソンジャーを手に入れた。
そして、ふわふわのフォームミルクをたっぷり珈琲にのせてくれる山口県光市室積の「喫茶はらだ」に向かい、メイソンジャーで泡立ててもらえないかお願いしてみた。


完成したのがこちら。
なかなか素敵な泡ではないか!

専用の器具に比べると(当然だけど)泡立てにくいので、一度シェイクしたミルクをコーヒーに注いでから、最後に少量残ったミルクを再びシェイクして仕上げのフォームを最後に加えるといいとアドバイスをもらった。
それにしても家でも気軽に、思い立ったらすぐにふわふわミルク入りがコーヒーが楽しめるなんて最高じゃないか!
ありがとう家家!
その4: 珈琲を飲みながら『臺灣料理之栞』を読んでみよう
読書しながらのコーヒータイムは至福の時間。『四維街一号に暮らす五人』ワールドをさらに楽しむために、乃云が掘り出した『臺灣料理之栞』を実際に読んでみよう。
本に登場するのは明治45年7月に出された林久三著『臺灣料理之栞』の再版版(大正元年10月刊行)なのだが、台湾の国立図書館である台湾国家図書館のデジタルアーカイブ「台湾記憶」(Taiwan Memory)で公開されているのは、大正十三年に出版された第三版である。
ちなみに、『四維街一号に暮らす五人』の表紙の右上に描かれている女性が乃云で、彼女が持っている本が『再版 臺灣料理之栞』だ。
100年前の日本語で書かれている本ではあるけれど、現代のわたしたちにも十分理解できる。
台湾在住の日本人に向けて、日本語で書かれたこの本は、料理をする際はもちろん、仕出しを注文する場合にも使えるように編集されており、台湾語でフリガナがつけられている。また、レシピだけでなく、巻末には食材や味に関する台湾語の用語集まであって実用性が高い。
『再版 臺灣料理之栞』の緒言(序文)には「台湾料理は風味がよく、各国料理の中でも、一番衛生的で、調理も簡単、鉄鍋と「アルミニユーム」の鍋、包丁と蒸籠で事足りる」と紹介されている。レシピは、汁物、あんかけ、煎りつけ(炒め物)、あげもの、蒸しもの、うでもの(茹で料理)の6つの調理法に分けて紹介されているのだが、台湾料理だけでなく、加里雞(チキンカレー)など西洋から入ってきたと思われるアレンジもあるのも見逃せない。
とはいえ、この本の最大の特徴は、現地の台湾料理に特化している点だ。統治下で出版されたアジアの料理の本に、1878年、英領インドで、イギリスの軍人アーサー・ロバート・ケニー=ハーバートが在印英国人向けに書いた“Culinary Jottings for Madras”があるが、こちらは、現地で手に入る食材で作る西洋料理のレシピがメインで、インドの料理はごく一部だ。『臺灣料理之栞』はこの点でも貴重な資料であろう。
作中では、この本をめぐるエピソードがいくつも描かれる。
たとえば、大家の名前・安修儀を台湾語読みすると、好物の魚の醤油煮込みの名前・紅焼魚になると、子どもの頃、料理人のおばあちゃんから聞いて知ったという話。私はそのくだりが大好きなのだけど、紅焼魚、この本にもちゃんと登場する。
またユーモラスなのが、家家が再現料理に選んだ生燒雞(生燒鶏)、現代でいうところのフライドチキンの話だ。
目次を見ていたら、生雞雞と書かれていて、「そんなに精力のつく料理っていったい何だろう?」と思って選んだのだという。なぜならそれは「男児を生む」という意味だから。でも生雞雞は「ただの誤植」だったのだ。
デジタル・アーカイブで公開されている第三版の目次には生燒雞と書かれていて、誤植はちゃんと修正されていた。
楊双子は動画で、『臺灣料理之栞』について、現存する台湾料理のレシピ本の中で最も古く詳細な一冊だと思われると紹介している。
物語に繰り返し登場するこの本は、住人たちをうまくつなぎ、それぞれの関係を深め、著者が探求する台湾の真実の歴史を知るきっかけにもなっているように感じた。
なぜ男性で通訳官の林久三氏がこの本を書くことになったのかなど、日本時代の台湾料理本の歴史についてはこちらが詳しいので興味のある方は読んでほしい。
バーチャルに旅する『四維街一号に暮らす五人』、楽しんでいただけただろうか。
実は作品に登場する春水堂や四維街46号の老舗珈琲店など、食べ物関係のお店や場所はすべて実在している。次のステップとしては、実際に台中を訪れて、作中の描写を手がかりにお店や場所を探してみるのも楽しそうだ。
楊双子(ようふたご/Yang Shuang Zi)
1984年生まれ、台湾・台中市育ち。小説家、サブカルチャー・大衆文学研究家。双子の妹(故人)との共同ペンネームとして日本語の「双子」を使用している。2020年に書かれた『台湾漫遊鉄道のふたり』が初邦訳小説。同作は台湾の優れた出版作品に贈られる「金鼎奨」のほか、第75回全米図書賞(翻訳文学部門)およびに第10回日本翻訳大賞も受賞する。他に邦訳刊行された作品は、原作を書いた漫画『綺譚花物語』、日本統治時代に建てられた古民家を舞台にした最新作『四維街一号に暮らす五人』。
参考:◎ボールメイソンジャー レギュラーマウス460ml ◎雪印ラード