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書籍レビュー「四維街一号に暮らす五人」

楊双子  著  三浦裕子 訳 中央公論新社 刊

台湾ローカル美食三昧、女五人で暮らす日式レトロ建築の秋冬春夏

『台湾漫遊鉄道のふたり』で第75回全米図書賞(翻訳文学部門)と第10回日本翻訳大賞を受賞し、世界で注目を集める楊双子の最新作。

台中市街の中心部に建つ、日本式家屋「四維街スゥウェイジェ一号」は、女子学生専用のシェアハウス。日本時代の1938年に建てられた木造2階建築で、前庭にはマンゴーの老木が育つ。住人は大学院生の知衣ジーイー小鳳シャオフォン家家ジアジア(家樺)、乃云ナイユン、そして三十代の大家の5人。台湾各地から集まった住人たちは、それぞれにさまざまな想いを抱え、共同キッチンはドラマでいっぱい。 ある日、押入れから、明治四十五年に台湾在住の日本人が書いた台湾料理のレシピ本が発見される。

食べてみたいぞ土芒果(土マンゴー)

物語は初秋、マンゴー話で幕を開ける。住人たちは、入居したばかりの乃云が持ってきた玉里の小豆羊羹を囲んで談笑中だ。

四維街一号の前庭では、建物より高く育った土芒果トゥマングォという品種のマンゴーが、毎年六月、梅雨も終わる頃に「パパパっと」実をつけるらしい。

七月中、毎日マンゴーを食べまくった家家が羨ましがるのは、皮を剥くのも面倒くさがる知衣のために小鳳がジャムを作ったという話。小ぶりで濃厚、酸味も甘みもある土芒果は、台湾に後から入ってきた愛文アイウェン金煌ジンホァンなどよりもジャム向きだという。

「生で散々食べたのに、ジャムまで食べたいか」と、すかさず家家にツッコミを入れる大家。そこへ、「脳みそが焼ききれそう」だから甘いものが食べたいと知衣が登場する。

一方、九月入居でマンゴーを食べ損ねた乃云は、シャイで会話の輪にうまく入れない。

しょっぱなから楊双子らしさが炸裂する場面だ。登場人物一人ひとりの個性と輪郭が際立ち、台湾の歴史がさりげなく散りばめられ、細かく描写される食のディテールにがっつり胃袋を掴まれてしまう。

マンゴーは甘いだけでは物足りない。酸味もしっかりあるという土芒果、ぜひ一度食べてみたい。

前作『台湾漫遊鉄道のふたり』は、昭和13年(1938年)の台湾を舞台に、日本人作家の青山千鶴子と台湾人秘書の楊千鶴が鉄道で台湾各地を旅する物語だった。本作は偶然にも同じ年に建てられた四維街一号という日本家屋に住む現代女性5人が、空間と時間を深く旅する趣向になっている。

ドラえもんの押入れがある台中市の古民家にて

「四維街一号」とは台中市の住所番地。古い日本式家屋がそこに建っている。

沓脱石くつぬぎいし、土間、押入れ、縁側、雨戸、戸袋、障子、襖などなど、懐かしい響きの日本語が次々飛び出し、「押入れはのび太の部屋でドラえもんが寝ているあの場所」という説明も二重に楽しい。

台風が近づいてきたことを知った住人たちは、みんなで手分けして「戸袋」に収納された「雨戸」を締め、「”要塞”みたい」と感心したりする。

ここは日本じゃなくて、本当に台湾なんだよね?と、不思議な気持ちにさせられる。

本作は、四維街一号を舞台に見立て、章立てを「第一幕」「第二幕」とし、各幕で主人公を交代させ、多面的に描く演劇的構成だ。

リノベされてはいるものの、古くて不便、プライバシーはほとんどなく、幽霊の噂もある「四維街一号」。さまざまな事情でここに住むことになった5人の共同生活は、なかなか楽しそうだ。なんといっても食卓が賑やかなのがいい。

登場する食べ物は200種類超

前作の主人公・青山千鶴子は「土俵入りする力士のような勢いで、卓上の品々を次々に平らげ」てしまう豪快な食べっぷりが印象的だった。四維街一号にはそこまでの大食漢はいないが、無数の食べ物たちが登場人物のような顔をして、入れ替わり立ち替わり現れる。

軽い気持ちでリストにし始めたら、200を軽く超えた。これだけで台湾のグルメガイドの見出しになりそうである。

一例を挙げよう。家家を食事に誘ったけどお金がないと断れられた乃云が向かった近所の牛肉麺の店で、知衣と小鳳が仲睦まじく食べていたのはこんな料理だ。

蔥爆牛肉ツォンバオニゥロウ〔長ネギと牛肉の炒め〕
乾煎虱目魚肝ガンジェンシームゥユイドウ〔サバヒーの腹身の揚げ焼き〕
蚵仔煎蛋オーアージェンダン〔牡蠣オムレツ〕
熱炒空芯菜ルゥチャオコンシンツァイ〔空芯菜炒め〕
牛肉精湯ニゥロウチンタン〔澄んだ牛肉のスープ〕
紫菜蛋花湯ヅーツァイダンホワタン〔かき卵と海苔のスープ〕
白飯をそれぞれ一杯
丁香花生ディンシァンホワション〔小魚と落花生の炒め〕
涼拌小黄瓜リァンバンシァオホァングワ〔胡瓜の和え物〕
涼拌干絲リァンバンガンスー〔千切り押し豆腐の和え物〕

美味しそうなのは台湾グルメだけではない。乃云と家家が初めて二人で食べた、なにげない朝ごはんのシーンもお気に入りだ。

四維街一号に暮らす五人本文より引用

リズム感、音、匂い、色、そして二人の関係性。乃云の気持ちもぽん!と跳ね上がったはずである。

小鳳と知衣は、二人で「アイスクリームののったバナナスプリットを最後まで平らげた」1年前、友達になった。やはり縁結びは食べ物だったのだ。小鳳は、知衣の食事も作りはじめるが、世話焼き女房的な理由とは違っていた。

四維街一号に暮らす五人本文より引用

「この瞬間の表情を見たい」がために、知衣のためにせっせと料理を作る小鳳。完璧なまでの気配りや甲斐甲斐しさは、前作で青山千鶴子の”完璧女神秘書”だった楊千鶴を思い出す。

やっぱり、食べることと愛することはよく似ているんだなぁ。

前作にもはっきり現れていた、食べるという行為を通じた感情的な営みは、本作では時空を超えて広がっていく。

100年前の台湾料理を作ってみる

そんなある日、四維街一号のラウンジの押し入れで、100年以上前に書かれた古い台湾料理の本を乃云が「掘り当てる」。

1912年、当時台湾総督府の通訳官だった林久三が著した『臺灣料理之栞』の再版本だ。

乃云は、本に掲載されているレシピの再現料理を皆に振る舞うことにする。選んだのは芋泥羹オオニイキイ。タロイモを練ってペースト状にした料理だ。材料調達のため第五市場に行くと、台湾各地の品種が並んでいるが、本の発行所が高雄であることから、高雄産タロイモを選ぶ。乃云、さすがのこだわり。

でも、ん? ちょっと待って。そもそも、なぜこの本が押入れに?

しかもその後、ブリキのおもちゃ、子供用革靴、木の表札が遺跡のように次々と「発掘」されるのだ。

そういえば!と、改めて目次を見ると、第一幕から第四幕まで続き、最後は大家の章。だが、そこだけ「第五幕」ではなく「舞台裏」となっている。

なぜだろう?

楊双子のガールズワールド


さて、そろそろ五人の正体が気になってきただろうか?ざっと紹介しよう。

乃云はレトロ建築好きの史学専攻。シャイでおっとりしているが、観察眼に優れる。
米農家の娘で優等生の家家は、明るい性格だが、誇り高い苦学生でもある。お返しは絶対欠かさない。
気配り上手&料理上手の魅惑美女小鳳は、どこでもモテモテ。幽霊を極度に怖がる。
マイペースで、興味のあるものしか(主に小鳳?)視界に入らない知衣は、BL作家としても活躍中。
悠々自適の大家は、高梁酒や茅台酒を飲みながら皆を見守りつつ、ときおり鋭くツッコミを入れる。

女性専用のシェアハウスだから登場人物が女性ばかりなのは当然だが、前作同様、本作も「百合小説」である。

だが日本的な感覚でジャンルを限定してしまうともったいない。華文圏での「百合」は日本と異なるからだ。

著者自身の定義は「女性と女性との、友情から性愛までさまざまなグラデーションによるあらゆる関係の中で、それぞれが成長していくこと」だという。

実際本作は、四維街一号にそれぞれ内なるものを秘めてやってきた住人たちが、100年の記憶を持つ空間、そして食卓を介して関わり合い、そのやりとりを通じてさまざまな化学反応を起こしていく物語である。

あっ、もしかして、楊双子の作品における「百合」って、戦前日本の少女小説で描かれた「エス」の概念に近いのだろうか。女学校や宝塚歌劇のような「女性だけの世界」で育まれる、少女同士の絆——。

エスをテーマにした作品は1930年代がピークだとされているから、まさに四維街一号が誕生した1938年と重なる。

建築家のように作品を設計する作家

実は四維街一号、台中市の同所に「西区四維街日式招待所」という名称で実在する建物だ(現在は改装中)。マンゴーの老木も実際にある。

世間から取り残され、時が止まったように建つその佇まいに魅せられ、著者は想像で四維街一号の平面図を描き、そこから物語を書き始めた。

政府による本格的な調査も行われたが、建設当初の用途はいまだ不明だという。楊双子の執筆プロセスは、残された歴史的建築物を現代の台湾人が自分たちの物語の舞台として再構築していくことそのものを体現している。

台湾の真実の歴史を探求する著者は、それを否定するのでも美化するのでもなく、複雑なままに引き受けて、その上で現代を生きる台湾女性たちの物語を紡いだのだ。

私たち日本人は、台湾の歴史は日本の歴史でもあることを、忘れてはいけない。

訳者・三浦裕子氏のあとがきによれば、台湾各地に残る日式レトロ建築は「歴史やアイデンティティの見直し」の一環として、リノベされ再活用されているという。本作も、いわばレトロ建築の文学的再構築リノベだ。そして、そこに描かれる「詳細すぎる食」は、抽象的な歴史にしっかりとした身体性を与えている。

舞台設定が2019年の初秋から2020年の盛夏であり、まさにコロナ禍と重なる時期になったのは、偶然というか致し方なかったようだ。だが、その偶然が、記憶に新しい読者を引き込み、まるで共犯者のように物語を経験させる。これは「四維街一号の魔法」であったのだろうか。

土マンゴーがパパパっと実る時期にぜひ台湾に行って確かめたい。


著者紹介

楊双子(ようふたご/Yang Shuang Zi)

1984年生まれ、台湾・台中市育ち。小説家、サブカルチャー・大衆文学研究家。双子の妹(故人)との共同ペンネームとして日本語の「双子」を使用している。2020年に書かれた『台湾漫遊鉄道のふたり』が初邦訳小説。同作は台湾の優れた出版作品に贈られる「金鼎奨」のほか、第75回全米図書賞(翻訳文学部門)およびに第10回日本翻訳大賞も受賞する。他に邦訳刊行された作品は、原作を書いた漫画『綺譚花物語』、日本統治時代に建てられた古民家を舞台にした最新作『四維街一号に暮らす五人』。


写真情報: タロイモでなく里芋で再現してみた芋泥羹(お湯を加えすぎてペーストというよりスープ状になってしまった)。5人の登場人物を意識して、5枚のマンゴーの葉を添えてみた。

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吉井 朱美

ライター、食文化研究家、味わう読書家。 幼い頃から「なんでも食べ、なんでも読む」を信条に育つ。 留学先の豪州・アデレードの学生寮で多彩なスパイスの香りと予期せぬ出会いを経験。それをきっかけに南インドへ渡り、10年以上滞在。 文章を通して、さまざまな境界を越えながら世界を味わい直す旅を続けている。

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