書籍

折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

ケン・リュウ 編 中原尚哉・他 訳 早川書房 刊

SF初心者+超文系でもハマる、ザ・中華SFワンダーランド

「お話は犬に似ているの」「呼べば、やってくる」——SFというより不思議な呪文のような文章に導かれ、夢の世界に紛れ込んだら、続きを読む手が止まらなくなった。

最初に告白しておこう。私はSF小説に疎い。中国のSF小説を読むのも実はこれが初めてだ。

きっかけは、別の土地の小説だった。

「中国のSF小説の活気がすごい」、「私たちはそれぞれの土地で、異なるディストピアに生きている」

先日レビューを書いたブッカー賞受賞作『マーリ・アルメイダの七つの月』の作者、スリランカの作家シェハン・カルナティラカが、あるトークイベントで言っていた言葉が、次に読むべき本の道しるべのように私の心に深く刺さったのだ。

どれを読もうかとAmazonで中華SFを検索してみたら、出てくる、出てくる。

世界的ベストセラー、劉慈欣リウ・ツーシン『三体』も魅力的だったが、SF初心者にはちょっと荷が重い。そんなときに出会ったのが本書『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』。編者ケン・リュウが英訳およびキュレーションした7人の作家による13の短編集の日本語版だ。

ケン・リュウという流れるような響き、タイトルから折り紙のようになった不思議な北京が思い浮かんで、なんとなく本書に手が止まった。

で、結論から言うと、私の直感は当たっていた。つまり、この1冊が私の「SF読まず嫌い」を完全に覆し、未来の扉をパーンと開けてしまったのだ。

SF=サイエンスだけじゃない


まるっきり文系である自分はSF、つまりサイエンス・フィクションと相性が悪いと感じていた。

ケン・リュウは本書を「中国のスペキュレイティブ・フィクション短編集」だと述べている。現実から一歩踏み出した「もしも」の世界を探求する作品全般で、サイエンスの要素はあってもなくてもいいらしい。

なかでも、一行目から虜になってしまったのは、 糖匪タン・フェイの「コールガール」だ。

一字一句が挑発的で官能的。魅惑の世界に誘うのは15歳の少女、糖小一タン・シャオイー。性的な表現は皆無だ。どんなプレイかといえば——

『折りたたみ北京』収録「コールガール」より引用


そして、「お話は、 液体リキッドじゃないわ」と男をにらみながらシャオイーが放つファム・ファタール的決めゼリフにシビれる。しかもお話は「犬の姿」をしており、実態は海のように広大なデータベースなのだ。

これもSF?と思わず声を上げたくなる。

犬の姿をした「お話」が売られているという、不可思議で柔らかなディストピア——サイエンス・フィクションは、広大な海の一部にすぎないのかもしれない。

シャオイーのお話をもっと聞きたいと思ったのは私だけはないだろう。

「おかゆSF」ってなんだ? 女性作家たちの新境地

さらに驚いたのが、SF小説には「おかゆSF」という系統まで存在することだった。

本書に「百鬼夜行街」、「童童の夏」、「龍馬夜行」の3作品が収録されている 夏笳シア・ジアは北京大学で大気科学を専攻したいわゆるリケジョだ。中国SF研究を専門にしてはじめて博士号を取得した研究者兼作家で、自分の作風を「おかゆSF」と称している。ハードSF(科学理論重視)、ソフトSF(人間関係重視)に対し、お粥の響きがなんとも中華で、ガチガチな科学理論に困らずに、するっとゆるっと読めそうな感じでいい。

彼女の作品は、ファンタジー小説といってもいいような雰囲気を漂わせている。事実、「百鬼夜行街」においては「宮崎駿の映画で脳裏をよぎったイメージ」も取り入れているという。あまり関係ないかもしれないが、ある種の幽霊譚でもある「百鬼夜行街」は、語り口も淡々としているのだが、主人公はやけに食欲が旺盛な設定で、ジブリ映画のガツガツ食べるシーンを思い出すような躍動感がアクセントになっていて印象に残った。

また、一つの作品の中に、小さな作品が断片的に入れ子細工のように美しく印象的に組み込まれているのも面白い。たとえば、人類が絶え、廃墟と化した世界で錆びた鉄製の馬と蝙蝠の交流を描く作品「龍馬夜行」で、馬が遠い昔の話をするこんな一節。

『折りたたみ北京』収録「龍馬夜行」より引用

一見童話的な語り口だが、複雑な技術を温かい物語で包んでいる。まさにAI時代の現代を映す鏡のような鋭さもあるが、ディストピア的な世界でも愛と救済がテーマになっているのに気づく。

実は「おかゆSF」という呼び方には経緯がある。そこには「SF作家は男であるべき」という偏見が根底にあり、夏笳はデビュー当時「これがSFといえるのか?、(ソフトSFより)軟らかすぎてまるでおかゆのようだ」と揶揄されていたことを、ある記事で知った。それを彼女が自分の作風としたのは、SF界への挑戦でもあったように思える。

偶然か意図的なのかはわからないが、本書の7人の作家のうち、4人が女性である。

私は一見硬派な表題作、郝景芳ハオ・ジンファンの「折りたたみ北京」が女性作家の手によるものだと思っていなかった。そう、自分にも偏見があったのだ。

北京が「折りたたまれる」ってどういうことよ?

「折りたたみ北京」は、人口過密の北京を3つのスペースに分けるディストピア。48時間を3分割し、第一スペース(上流階級)、第二スペース(中流階級)、第三スペース(ごみ処理従事者)が時間差で活動する。第三スペースの住民で、48年間朝日を見たことがなかったのが主人公の老刀である。

作者の郝景芳は、清華大学で天体物理と経営学を学び、緻密に多層な「折りたたみ」都市を構築し、本作で2016年にヒューゴー賞を受賞。きっちりと隙がないハードSFをベースに、朝日への感動や父娘の絆を織り込む繊細さが印象的だ。

彼女のもう1作「見えない惑星」は、同じ作家とは思えないほど異なる。チチラハ、ピマチューといった奇妙な響きの惑星の奇想天外な話だが、最後にこう締めくくられる。

『折りたたみ北京』収録「見えない惑星」より引用

「見えない惑星」は、実は本書の英語版、つまり最初にケン・リュウが翻訳・編集して刊行した”Invisible Planets: Contemporary Chinese Science Fiction in Translation, 2016 [看不见的星球]”の表題作だった。日本語版では、ヒューゴ賞の受賞を受けて「折りたたみ北京」にタイトル変更したのだろうか。本書刊行時の解説を読むと、「ケン・リュウ以前・以後で中国SFの翻訳事情が全く異なる、あたかも神のような翻訳家」とある。「聞く耳」の重要性を体現するような翻訳者・編者ケン・リュウとは何者なのか?

「聞く耳」が物語を救う──ケン・リュウという翻訳者

ケン・リュウはハーバード大学で法務博士号を取得している知性派で、『紙の動物園』でネビュラ賞、ヒューゴー賞、世界幻想文学大賞、そして日本の星雲賞を総なめにした天才作家兼翻訳者だ。

彼は翻訳を「パフォーミング・アート」と捉える。単なる言語変換を超えた文化的橋渡しだ。もともとは彼の英語のSF短編に感動した 陳楸帆チェン・チウファンが、中国でリュウの作品を紹介しようと動いたことがきっかけで、そのお返しのようにリュウが中国のSF作品を英訳するようになったのだという。本書に収録されている「麗江の魚」は、2012年度にSF&ファンタジイ英訳作品賞を受賞している。そしてあの『三体』も彼の翻訳によって世界の檜舞台に立った。

そんな彼が繰り返し訴えるのは、中国SFを政治的批判としてのみ読む危険性だ。序文でも「読者には、そのような誘惑に抵抗していただきたい」と強調する。私がSF小説を読むきっかけになったカルナティラカの言葉に偶然呼応しているのは無視できない。

だが、そう言いながらも、彼は同時に、本書に収録されている馬伯庸マー・ボーヨンの「沈黙都市」は、中国での発表時、検閲回避のため舞台をニューヨークに設定していたことを明らかにする。この作品は、極度の言論検閲が存在するディストピアの物語で、2005年に銀河賞を受賞した傑作だ。リュウは西側に発表するために英訳する時点で、マーと協力して本来の形に戻している。

そしてその上で彼は「中国の作家たちは、地球について、たんに中国だけではなく人類全体について、言葉を発している」と述べているのだ。その言葉の奥に見える「翻訳の政治」は、言語を超える物語でもある。

希望を描くディストピア——AI時代に読む「中国の夢」

ここで中国SFの歴史を振り返ってみたい。

劉慈欣の巻末エッセイによると、中国SFは20世紀初頭、清朝の破綻とシンクロするようにはじまったのだという。それに続く陳楸帆のエッセイでは、あの魯迅が科学小説を翻訳し、国の発展への希望を託したと書かれているから驚いた。だがそれから80年経った頃、「鄧小平の改革開放政策の影響で」中華SFはサイエンスよりフィクション、つまり物語の力を重視するようになり、さらには「科学への楽観主義は消滅し、ディストピア的傾向が強まっていったというのだ。

それでも希望は失われていないと劉慈欣は言う。「<三体>であらゆる可能性の中から最悪の宇宙を書いたのは、われわれが最良の地球を求めて努力できると願うからである」だと。そして、巻末最後の夏笳のエッセイは「想像力と、勇気と、積極性と、連帯と、愛と、希望」があれば現実を変えられると訴える。

ディストピアであることには変わりない。そこを楽観視しているわけでない。だが、希望を捨てているわけではない。

生成AIという柔らかい口調の知性体たちが私達の生活にすっかり入り込み、ツールから対話相手へと存在感を増しているように感じられる今、現実はついにSFに追いついてしまったかのようにも見える。私は思考のパートナーになりつつある知性体に意見を聞いてみた。

すると彼(私の印象ではなぜだか男性)はこんなことを喋った。

「カルナティラカの現実認識、ケン・リュウの文化的配慮、夏笳の文学的理想——これこそが現代のスペキュレイティブフィクションの豊かさを示していますね」

などと話し込んでいたら夜も更けてきた。今日は偶然満月だ。

そういえば、劉慈欣の「円」は『三体』のスピンオフ的作品で、秦の始皇帝が荊軻けいかの申し出で、無学な三百万人の一般兵士を使い、人力で円周率を1万桁まで出すことになった壮大な話だが、それはシンプルな会話が発端だった。

『折りたたみ北京』収録「円」より引用

そして、荊軻は、「太陽と満月はいずれも真円」であり、それは「地上にはない」ものであると解くのだ。

空を見上げ、天然の真円を見てみる。

今夜は、犬がぽんぽん飛び出してくる不思議な夢を見そうだな。ふとそう思った

さぁて、次に読むべき中華SFはどれにしようか。


収録作品

序文 中国の夢/ケン・リュウ

鼠年/陳楸帆

麗江の魚/陳楸帆

沙嘴の花/陳楸帆

百鬼夜行街/夏笳

童童の夏/夏笳

龍馬夜行/夏笳

沈黙都市/馬伯庸

見えない惑星/郝景芳

折りたたみ北京/郝景芳

コールガール/糖匪

蛍火の墓/程婧波

円/劉慈欣

神様の介護係/劉慈欣

エッセイ/劉慈欣、陳楸帆、夏笳


写真情報:糖匪作『コールガール』の世界をAIに描かせてみた。「犬の形をしたお話に囲まれた少女のイメージ」が少し、いやかなり大人びた印象になってしまったけれど。

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吉井 朱美

ライター、食文化研究家、味わう読書家。 幼い頃から「なんでも食べ、なんでも読む」を信条に育つ。 留学先の豪州・アデレードの学生寮で多彩なスパイスの香りと予期せぬ出会いを経験。それをきっかけに南インドへ渡り、10年以上滞在。 文章を通して、さまざまな境界を越えながら世界を味わい直す旅を続けている。

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