書籍

書籍レビュー「マーリ・アルメイダの七つの月 上・下」

シェハン・カルナティラカ 著 山北めぐみ 訳 河出書房新社 刊

困難な時代の生き方を探る、絞首台ユーモアの地平線

どこまでも辛辣で、果てしなく滑稽、容赦なくグロテスクで、悲しみが胸に迫るこの物語は、うっとりするほど美しい。七つめの月が昇る前に、急げ!

戦場カメラマンで、ギャンブラー、隠れゲイのマーリ・アルメイダは、目が覚めたら「死後の世界」の激混み受付カウンターでもみくちゃにされていた。舞台は1990年、内戦真っ只中のスリランカ。受付で七日間の謎の猶予を与えられた彼は、自らの死の真相を解明し、戦争を止められるかもしれない写真を公開すべく、風に乗ってコロンボの街を駆け抜ける。正体不明の声を道連れに。2022年度ブッカー賞受賞作。2025年度日本翻訳大賞最終選考対象作品。

“ 答えは「イエス」、答えは「ここと似たようなもんだが、もっとひどい」” by 死んだばかりのマーリ・アルメイダさん

「死後の世界はあるのか?」「それってどんなところなのか?」

 全人類の定番疑問にズバリ答えるひとりの男は先週の火曜日に死んだばかり、らしい。

物語の主人公であるマーリは、自分がなぜ死んだのか、そもそも本当に死んでるのかさえよくわかってない。はっきりしているのは、靴を片方だけ履いていて、チェーン三本と「レンズは粉々に割れ、外装にはひびが入っている」愛用のニコン3STが首にぶら下がっていること。なので他の大勢の幽霊と一緒に「自分の死に疑問を持つものが集まる」受付カウンターに並んでいるというわけだ。

南の国のカオスな受付カウンターで

いきなり笑ってしまったのが、受付カウンターの混み具合が、私が10年以上住んだ南インドのカオスと全く同じだということ。スリランカはお隣だから状況はほぼ同じだと思っていいだろう。誰もまともに列に並ばず、一瞬でも気を抜くとするっと前に入りこまれる。

マーリはこう説明する。

『マーリ・アルメイダの七つの月 上』本文より引用

四十二階で<耳の検査>を受けるように指示され行ってみると、看板に書かれているのは「閉鎖中」の文字。受付に戻ると「あす出直してください」と平然と言い放たれる。

あったあった!そういうこと!と、南国の蒸し暑い思い出が蘇る。

「死後の世界」も下界の混乱ぶりと大して変わらないようだ。だが、人々の見た目は大きく異なる。質問する少女の首は折れ、連れの少年の頭蓋骨はひび割れているというシュールさだ。

マーリたちは、<光>と呼ばれる場所に行くまでに「七つの月」が与えられると告げられる。タイトルの「七つの月」とは七つの夜という意味で、初七日的なものだろうか。

どこまでもロックなマーリの人生

「エルヴィスが初ヒットを飛ばす前に生まれ、フレディが最後のヒット曲を出す前に死んだ」マーリは、パッと見、かなりヤバい奴だったようだ。好物は「カジノ、戦闘地域、美しい男たち」。

危ない橋を渡りまくり、表沙汰にできない関係は軽く三桁。83年の集団的迫害で「タミル人が家ごと焼かれて殺されるのを傍観する大臣の姿」など、見つかったらヤバい写真を何千枚も撮り、ベットの下に隠していた。ロックの歌詞になりそうな生き様だ。

ちなみにマーリのモデルは、「第一の月」のエピグラフに使用された詩を残しているジャーナリストで活動家のリチャード・デ・ゾイサ。同じく1990年に殺害された。

誰がマーリをったのか?

物語の舞台はかなり物々しいし、どの方向もどす黒い。

 <虎>と呼ばれるLTTEはタミル人の武装勢力。共産主義のJVP「人民解放戦線」は、資本主義国家の打倒を目指す。政権を握るUNP「統一国民党」は「特別起動部隊」を使って拉致・拷問を行い、そこに「任務遂行のためなら、喜んで村を焼く」お隣インドの「インド平和維持軍」が加わる。

これらは皆、実在の組織である。この物語は、シンハラ人とタミル人の民族対立を背景に、1983年から2009年までの26年間続いたスリランカ内戦をベースにしたフィクションなのである。

姿を消したマーリを探すのは、「生涯最愛の人」つまり隠れ彼氏のDD(タミル人)。実はマーリ、恋愛に関してはかなり「純」だった。そして、「親友にして永遠の恋人未満」ジャキ(タミル人)、母親のアンマ(バーガー人とタミル人のハーフ)、それからDDの父親で青年問題省大臣のスタンリー。

マーリの父親はシンハラ人だった。マーリが生前、政府軍や<虎>のインタビューをセッティングできる貴重な「仲介役」だったのも、3つの血が混じる彼の生い立ちと無関係ではなかったようだ。

この中に犯人はいるのか?! いやその前に、もう一人重要人物がいるのを忘れそうになっていた。それがマーリを「おまえ」呼ばわりする謎の存在だ。

「おまえ」が奏でるビートに乗って

この物語は二人称の「おまえ」で進行する。その声は常にマーリにぴったりくっついて、しかもマーリをよく知っている。訳者の山北めぐみさんはあとがきで、「おまえ」効果を「VRゴーグルのような働き」と表現している。

読み進めるうちに、「おまえ」と呼ばれているのは、自分のような気がしてくる不思議な錯覚に陥った。

カルナティラカはあるインタビュー動画で「死んだ後にも生き残るものは果たしてなんだろうと考えた時に、頭の中の声ではないかと思った」と語り、別のインタビュー記事では「頭の中の声って普通二人称じゃないの?」とも言っている。

まるで『平家物語』の琵琶法師の語りのように、「おまえ」という声が物語を進行させていく。ただし調子は完全にロック調だ。

実際、作品全体にさまざまな音楽や映画、書籍のタイトルや一節が言葉遊び的に散りばめられているのも本書の魅力のひとつである。

すべての幽霊話の裏には悲劇がある

幽霊を主人公にする設定は、スリランカの幽霊話の裏に必ず悲劇があると知ったカルナティラカのまなざしを反映しているのだろう。悲劇の幽霊で思い出したのは、たとえばディーパ・アーナパーラ作『ブート・バザールの少年探偵』の哀しい母親の幽霊だ。

本書では、マーリが死後の世界に到着早々、黒いゴミ袋のマントをはためかせ、影のように追ってきた霊が登場する。生前JVPの若き革命家だったセーナだ。彼のモデルになったのは内戦中に暗殺された学生組織のリーダー、ダヤ・パティラナである。

受付カウンターでヘルパーをしているのは、大学講師のラーニー博士。穏健派であることを理由に過激派のタミル人に惨殺された。実在の人物である故ラジニ・ティラナガマ博士をモデルにしている。

ラーニー博士が「白い」存在だとしたら、「黒い」ラスボスも忘れてはいけない。

それがマハカーリー。インドのヒンドゥー教の女神と同じ名だが、すべての黒い闇を吸収し、全幽霊の怨念を凝縮したような不気味で恐ろしい存在として描かれている。

お互いの頭をかち割るより軽口を叩きあった方がまし

それにしても、「巨神が湖面をまたいで宿便を放り出し、流すのを忘れたかのような臭いを放ち」「あらゆる種類の悪徳を隠蔽するのに利用された」ベイラ湖に無惨に打ち捨てられた自らの死体を見たマーリの行動には余裕がありすぎる。

亡骸をサーフボードに見立ててその上に立ち、「生きていた頃はサーフィンをしたことがあったっけ?」などと思いを巡らせるのである。

本書の特徴ともいえる、いわゆる「絞首台ユーモア」はどこから来ているのだろう。

台湾の作品『陳澄波を探して』『自転車泥棒』『南光』などは歴史フィクションであり、戦争や恐怖政治の恐ろしさを同じく描いているが、本書のトーンとは大きく異なる。

カルナティラカがブッカー賞のサイトでも公言しているのは「カートおじさん」ことカート・ヴォネガットの影響だ。だが、困難な時に、冗談を言ったり微笑んだりするのはそもそもスリランカ人の特徴でもあると、あるトークイベントで彼は言っている。なぜなら圧倒的な不条理に対して、一市民ができることは実際多くはないから「お互いの頭をかち割るより軽口を叩き合った方がまし」じゃないかと。

ヴォネガットも壮絶な戦争体験をしていることで知られる。そういえば、ブラックユーモアがまるで弾丸のように炸裂する『ガラム・マサラ!』の作者ラーフル・ライナの家族は、紛争が続くインド最北部の地カシミールから夜逃げした過去をことあるごとに冗談めかして話題にしていたという話を思い出した。

絞首台ユーモアは、人間の不屈の魂であり、困難な時代を生き抜くひとつの処方箋でもあるかもしれない。

スリランカ人作家で初めてブッカー賞を受賞したのは1992年、『イギリス人の患者』で知られるマイケル・オンダーチェだった。少年期にスリランカを離れ、主に海外で創作活動を続けてきた彼に対し、カルナティラカは、海外で過ごした経験を持ちながらも、スリランカに戻り、島国に根ざした視点からスリランカの現実を描き出している。本書はスリランカの内側から語られた物語として初めて国際的な文学賞を獲得した作品と言える。

いつかこの物語がファンタジーとなるような未来に

ブッカー賞受賞スピーチの最後に、彼は「いつかこの本がファンタジーの棚に並ぶ未来を」という言葉を残した。

現実の世界では、皆が絶対に打ち負かせないと思っていた<虎>は2009年に倒され、内戦は終結する。だがその後も国の混乱は続き、カルナティラカのブッカー賞受賞と同じ2022年、経済破綻状態となり反政府運動が起こった。

物語では、マハカーリーがマーリにこんな言葉を投げかける。

『マーリ・アルメイダの七つの月 下』本文より引用

これはスリランカだけの話ではないだろう。世界のあちこちで、そして言葉を入れ替えれば、私たちの日常にも、そのまま当てはまるのではないか。

本書は人間のグロテスクな闇を丸裸にするような物語だ。だが、不思議と読後に残るのは、まるで魂が浄化されていくような、どこまでも透き通った圧倒的な美しさである。

そして、お茶とポルテロとアラックとタンビリにコラキャンダ、個人的には、食の文学史上、究極の選択といえる。私なら何を選ぶだろう。

いつかマーリの「光り輝く島スリランカ」で、ジャキが放送局から持ち帰る夜食、マールパン(魚入りのカレーパン)をかじりながら、困難な時代を生き抜く勇気について想いを巡らせてみたいと思った。どこからともなく「おまえ」と呼ぶ声が聞こえてくるかもしれない。

書籍の購入はこちらから(Amazonのページが開きます)

原書に興味のある方にぜひおすすめしたいのが英語版のAudible。スリランカ出身の俳優でミュージシャンのシヴァンタ・ウィジェシンハの朗読。喋りの部分はスリランカ訛りを強調し、より鮮明に物語の世界に入り込める。


著者紹介

シェハン・カルナティラカ (Shehan Karunatilaka)

1975年、スリランカ・ゴール生まれ。家族でニュージーランドに移住し、高校、大学を卒業後、コピーライターとしてスリランカ、ロンドン、アムステルダム、シンガポールで活躍。2012年、『Chinaman : The Legend of Pradeep Mathew』(2010) が、コモンウェルス賞を受賞。2022年、『マーリ・アルメイダの七つの月』(2022)がブッカー賞を受賞。子ども向けの作品も書いており、『Where Shall I Poop?』(2020)が自身の「最高傑作」だと語る。スリランカ在住。


写真情報: マーリは風に乗って、この木々の上にひょいと佇んでいたのではと思わせるスリランカの森の風景。”Flora and fauna nature of Sri Lanka”, Peter van der Sluijs, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons

  • 記事を書いたライター
  • ライターの新着記事
よしい あけみ

ライター、食文化研究家。日本で情報誌の編集を経て、豪州に留学。寮で大勢のインド人学生と暮らしたのがきっかけでインドに開眼。その後南インドで10年以上暮らす。物心ついたときから、なんでも食べて、なんでも読むことが信条。

  1. 書籍レビュー「マーリ・アルメイダの七つの月 上・下」

  2. 『陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎』翻訳者・栖来ひかりさんに聞く(2)

  3. 『陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎』翻訳者・栖来ひかりさんに聞く(1)

RELATED

PAGE TOP