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映画レビュー「あなたの名前を呼べたなら」

メイドと主の関係を通してインド社会の現実を見つめた作品

ムンバイのスカイラインを背景に、社会の下層にいながらも夢を追い続ける女と裕福な青年が惹かれ合う。

結婚式の最中だったはずの主(あるじ)のアシュビンが、自宅に舞い戻ってきた。休暇で里帰り中だった住み込みメイドのラトナは、電話で呼び出され、急遽、勤め先に戻る。花嫁の裏切りを知り、傷心の主。慰めとなったのは、変わりなく彼の世話を焼き、話を聞いてくれるラトナの存在だった。お互いの内面を知り、惹かれていく二人だったが……。

残酷なまでの格差

断っておくが、これはインドのマハラジャと美しく着飾った姫が華々しく歌い踊るお話ではない。小柄で非力なメイドの物語だ。だから、ボリウッド映画好きの人に敢えておすすめはしない。

花嫁が去って、主とラトナは同じマンションの一室で二人きりで暮らすことになるが、二人を隔てている壁はとてつもなく厚い。身分、貧富、教養、都会育ちと田舎育ち。その差は残酷なまでに歴然としている。

同じ国の同じ街に住んでいながら、話す言葉も違う。富裕層同士は親しい間柄でも英語で話し、下層の人間は仕事をこなすのに必要な英語はある程度分かるものの、ヒンディー語やマラティ―語で話す。

主は「勇気(ブレイヴ)があるね」と言葉をかけてくれるが、ラトナにはその英単語の意味が分からない。

人々を縛るもの

この映画の原題は「SIR」。自分の気持ちに気づいた主は「『旦那様(Sir)』ではなく名前で呼んでほしい」と言うが、ラトナは拒む。

下手に浮名を流せば、「家族の名誉を傷つけた女」として身内による制裁が待っている。だからラトナは警戒する。人の目を。噂を。遠いどこかの国で起こっている出来事としてネットで読んだニュースのようなことが、ラトナの言動を通してリアルに感じられてくる。

だが、家族と因習に縛られているのは下層の人間だけではない。富裕層の人間もまた同じだ。

メイドに心を寄せたところで、恋人として交際することもできなければ、妻として娶ることもできない。本人たちの意思など関係ない。世間がそれを許さない。これは100年、200年前の話ではない。現代の話だ。

浮気をした花嫁は悪い女だったのか? 私にはわからない。彼女もまた、自分をがんじがらめにしていたものから逃れたかっただけかもしれない。ラトナは彼女がくれたバングルを身につけている。

小さき者の夢と希望

余計なことはしゃべらず、気配を消すように働くラトナ。インドの中・上流階級は、このような影のような無数の労働者により支えられている。

しかし、インド社会の下層にいるこのような人々にも、夢と希望がある。

19歳で未亡人になり、口減らしで都会に働きに出されたラトナの選択肢はそれほど多くはない。それでも、妹と仕立て屋を経営するという夢を叶えようと、主の許しを得てメイドの仕事の合間に仕立て屋の手伝いに出る。仕立て屋は雑用ばかりを押し付けて、裁縫など教えてくれない。でもそこで諦めたりはせず、友達が教えてくれた裁縫教室に通い始める。

底辺から浮き上がろうとする女と、すでに社会の上澄みにいるのに息苦しさを感じている男――格差だけでなく、その対比もこの作品の見どころの一つだ。

本作品は第71回カンヌ国際映画祭の国際批評家習慣基金賞をはじめ、数多くの国際的な賞を受賞した。


映画『あなたの名前を呼べたなら』

ロヘナ・ゲラ 監督

ティロタマ・ショーム、ヴィヴェーク・コーンバル 主演

公式サイト:http://anatanonamae-movie.com/

配給・DVD販売:アルバトロス

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  • 記事を書いたライター
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川嶋ミチ

翻訳家、ライター。神奈川県生まれ。アジア、ヨーロッパの国々を飛び回り、出産を機に神奈川に舞い戻る。活字中毒。このサイトのキュレーターを務める。

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