アンドレア・ヒラタ 著 加藤ひろあき・福武慎太郎 訳 上智大学出版 刊
搾取による貧困の中で学び成長しつづける少年たち

村のスズ開発を巨大企業が独占し搾取したため、階級制度が生まれた。豊かなはずの村で、多くの労働者は貧困にあえぎ、学校へ行くこともなく働き、その子どもは親と同じ仕事をすることになる。その連鎖を断ち切ることを夢見て、子どもたちは学校へ通う。
インドネシアのブリトゥン島にある貧しい者たちのための小学校「虹の少年学園」の初日。新入生が10人集まらなければ閉鎖すると教育文化省から通告されていたのに、9人しか生徒が来ていない。だが11時を過ぎたとき、知的障害のある少年が、ぼくも学校へ通いたいとやってきた。そして、10人そろった!
たった10人しかいない貧しい学校に、ふたりの天才がいた。芸術的才能を持つマハールと理数系の天才リンタンだ。このふたりがいることから、校長はカーニバルのパフォーマンスと学力競技会に参加することを決めた。いつもは富裕層の通う名門校グドン学園が賞をほぼ総なめにしていたが、マハールとリンタンの桁外れの才能のおかげで、初めて虹の少年学園がふたつとも優勝した。
この優勝に自信を得た生徒たちは、それぞれの夢を発表しあった。だが、リンタンが不幸に見舞われて……。
熱意と愛情あふれる先生方が子どもたちの豊かな心を育む
この学校は学費を取らず、可能な範囲で寄付をするだけでよかった。それはすなわち、教えている先生方はほとんど収入を得られないということだ。
校長先生はボロボロの服に子どもの時から使っているプラスチックのベルトという恰好をして、家庭菜園で野菜を作ることで家族を養っていた。もうひとりの新人の先生(先生はふたりしかいない)は学校で教えたあと、生活費のために裁縫仕事に出ていた。それでも、熱意と愛情をもって子どもたちを教える。子どもたちを鼓舞し、知識だけでなく人として大切なことを伝えていく。 校長先生は子どもたちに、次のように言う。
「最大限受け取るのではなく、最大限与えるように生きなさい」
(「虹の少年たち」本文より引用)
この言葉を本人が実践しているからこそ、深く子どもたちの心に響く。子どもたちは先生方を尊敬し、心身共に健やかに成長していく。
貧困に打ち勝つのは何と難しいことか!
リンタンは片道40キロもの道のりをぼろぼろの自転車に乗って学校にくる。ワニが出ても、自転車のチェーンが切れても決して休まない。さらに、家へ帰ると仕事までしていた。家計を助け、学校へ通わせてもらっていることへのつぐないのためだ。
知の探究という魅力に取りつかれ、まさに天才といえる才能を持つ彼は、将来すごいことを成し遂げられるだろうと思われた。だが、貧困が彼の道を阻んだ。貧困に打ち勝つのが、ここまで難しいことだとは。胸が詰まる思いがした。
カーニバルのパフォーマンスと学力競技会での勝利が何をもたらしたかを紙に書く課題が出たとき、こう書いた生徒がいた。
貧困で最もつらいのは、素晴らしいとかすごいと感じるような、よく行き届いた教育やその功績が、いつだって貧しい子どもたちのものではなく、ほかの子どもたちのものになってしまうということです。(中略)本来ならば熱心に勉強し、簡単には愚痴をこぼさず、夢を見る勇気を持った子どもたちにこそ送られるべきで、その子がどんなに貧乏かなんて関係ないはずです。
(「虹の少年たち」本文より引用)
誰もが教育を受けられて、その才能を思う存分伸ばせる世界になってほしいと切に願う。ただ、最後は希望の光が見える終わり方をしているのが救いだ。
本作はインドネシア国内の販売累計500万部といわれる大ベストセラーとなり、海外でも19言語に訳されている。2008年には映画化され(邦題は『虹の兵士たち』)、のべ450万人が映画館に足を運んだ。2011年から2012年にかけてはテレビドラマにもなった。
著者紹介
アンドレア・ヒラタ
1967年10月インドネシア・バンカ・ブリトゥン州生まれ。インドネシア大学経済学部を卒業後、英国シェフィールド・ハラム大学で経済学を専攻し修士号を取得。その後インドネシアに戻り、電気通信会社テレコムセルに勤務。2005年に『虹の少年たち』で小説家としてデビュー。本作とその続編である『少年は夢を追いかける』、『Putri Seorang Penambang Timab(スズ採掘労働者の娘)』(邦訳未刊)のほか、著書多数。本作は2013年ニューヨーク・ブックフェスティバルのジェネラル・フィクション部門で受賞。