楊 逸 著 文藝春秋 刊
芥川賞受賞作家による異文化交流をテーマにした小説

中国と日本の文化的違いや結婚の複雑さを学びながら成長する、日本に嫁いだ中国人女性の姿を描く
大まかに言うと中心テーマは、中国と日本を舞台にした「異文化交流」。中国の田舎の貧しい家庭に育った主人公の王学勤(ワンちゃん)は、日本の四国の山間の町に嫁ぐことになる。だがそこでの生活で、寝たきりの姑の介護や地域社会とのトラブルなど多くの困難に直面する。
そのような中で、国際結婚仲介のビジネスに着手する。中国の若い女性と日本の独身男性をマッチングするこのツアーで、それぞれの参加者たちの事情や価値観、背景が激しく衝突し合う。
その人間模様を観察する過程で、ワンちゃん自身も過去のトラウマや孤独と向き合いながら、自己を模索していく。
ひと昔前の中国から見た日本の姿
ワンちゃんは日本で嫁いでからいくつもカルチャーショックを受ける。
踏んでいる町こそ様々であるものの、ほかに変わるものはあるのだろうか、うつろな目。からっぽな頭。孤立無援な気持ち。麻痺した神経。いつかこのままブラブラして、どこか闇に消えていってしまうような、と、そんな場面が何度となく頭に過ぎる。
(「ワンちゃん」本文より引用)
物語の時代背景を考えると、このカルチャーショックも肯ける。ワンちゃんは、1960年代に中国で生まれ、文化大革命やその後の改革開放政策を経験しながら、激動の時代を生き抜いてきた。
その間、中国では都市から農村部への下放政策や、経済の自由化が進行していた一方で、日本では高度経済成長期を経ながら、地方の過疎化や農村部での嫁不足などの社会問題が山積みになっていた。
このような中で、来日したワンちゃんが見た日本の農村部は「文化的・経済的に進んでいた」のかもしれない。こうして急に文化の違う環境に投げ出されたワンちゃんは当然のごとくカルチャーショックに陥ったのだ。
現在、日本経済は衰退しており、ますます住みづらいイメージを持つ若者が日本には増えている中で、中国よりも日本の方が「文化的・経済的に進んでいた」面を小説の中でも垣間見ると何だか新鮮な気持ちになる一方、現状を想うと悲しくなった。
ITや英語など日本は現代社会にマストなものを吸収し始めるのが遅かった面は否めないが、それでも現在の日本にも世界に誇れる確かな文化や技術力があると個人的には思っている。余談になるが、例えば、料理をしていても日本製のフライパンの方が海外のフライパンよりも焦げ付きにくかったり……。
結婚の複雑さ
ワンちゃんは国際結婚を企画するプロジェクトを通じてさまざまな人間模様を目にする。そこで自らの経験とも照らし合わせながら、ある種の悟りの境地に至る。
人に厳しい性格だの、融通が利かないだの、それらは全て崇高な人間であることの裏付けだと信じていた。貞操なんて、これまで信じて堅く守ってきた自分が滑稽でバカバカしく思えた。
(「ワンちゃん」本文より引用)
この物語では、日本人男性は中国人女性に対して「従順性」を求める傾向がある一方、中国人女性は日本での「経済的・文化的に恵まれた生活」を期待しすぎる傾向がある。
このような期待が現実とマッチしないことで、人間関係、特に結婚はこじれる。さらに拍車をかけるのが日本の農村部の古い慣習。
こうして仲介役のワンちゃんも数々の結婚の挫折事例を目にして、結婚は単に言語、容姿や性格といった「個人的な要因」に留まらず、周囲の社会的・文化的環境など「外的要因」も絡んだ非常に有機的で複雑な出来事であることを知る。
著者紹介
楊 逸(ヤン・イー)
1964年、中国ハルビン生れ。1987年来日。1995年、お茶の水女子大学文教育学部卒業。2007年、『ワンちゃん』で文學界新人賞受賞。2008年、『時が滲む朝』で日本語を母国語としない作家として初めて芥川賞を受賞。他の代表作に、『金魚生活』、『おいしい中国―「酸甜苦辣」の大陸―』、『獅子頭(シーズトォ)』、『中国歴史人物月旦 孔子さまへの進言』などがある。2009年より関東学院大学客員教授も務める。