アユ・ウタミ 著 竹下 愛 訳 木犀社 刊
4人の登場人物の人生を通して当時のインドネシア社会を風刺した問題作
登場人物がそれぞれ真の愛を求めていく中で、多様なアイデンティティや新しい愛の形を提示する。また当時のインドネシア社会のタブーにも挑む社会的問題作とも言える。
舞台は、1990年代スハルト政権末期のインドネシア。さまざまな時間と場所を行き来しながら、4人の登場人物の人生を描き出す。
ライラは不思議な魅力を持つ既婚男性と不倫関係にある。サマンはひょんなことから神職を志していたが、ある時人生を揺るがす出来事が起き、スマトラの村落とパーム油会社が対立する中で信仰を捨て、農園の改革に乗り出す。クライマックスでライラの幼馴染のシャクンタラとヤスミンは学生時代を振り返りながら、サマンに手紙を出す。
ジェンダーや宗教、政治といった社会的問題に挑みながら、彼らが見つけた新しい愛の形とは?
個性豊かな登場人物の人生を通して描かれる新しい愛の形
本書の大きなテーマのひとつに、新しい愛がある。愛という概念を掘り下げ、恋愛の華やかな正の部分だけでなく、社会から拒絶されてしまうこともある恋愛の負の部分も描いている。多様な登場人物の熱いロマンスからプラトニックラブ、そして同性愛まで、さまざまな形の愛を描く中で、伝統的な慣習に縛られない自由な生き方を提示し、多様性を受け入れるよう喚起している。
また著者はリズミカルな語り口で、性や女性といったインドネシア社会の「タブー」について堂々と問うている。例えば、サマンのこんな手紙の一節。
これまでぼくは、何世紀にもわたって男たちによって作り上げられてきた、性や、性にまつわる考え方や定めに関する書物を読んできた。…(中略)…だがきみとのことでぼくは、セックスや女性は、そうやすやすと説明のつくようなことじゃないんだって感じている。おそらく、説明のできないことなんだ。
(『サマン』本文より引用)
社会的問題の痛烈な風刺
登場人物の人生を通して、当時のインドネシア社会の規律に対する痛烈な批評が展開される。これは読者に抑圧的な権力に立ち向かう勇気とその重要性を教えているのかもしれない。例えば、サマンは元神父でありながら、社会慣習的に異例ともいえる農園改革に乗り出し、社会正義を貫こうとしている。
登場人物の体験から、一致団結による変革の意義やどんな状況に陥っても正義を追い求める姿勢を描き、人生において挑戦し続けることがいかに大変だが重要なことなのか伝えている。
読みやすい語り口と深いテーマが印象的な本書は、インドネシアの若手女流作家を中心とした文学ムーブメント「サストラ・ワンギ(香り立つ文学)」の火付け役となった。
著者紹介
アユ・ウタミ(Ayu Utami)
1968年、ジャワ島ボゴール生まれ。ジャカルタ育ち。インドネシア大学でロシア文学を専攻し、学士号を得る。大学在学中に、新聞にて評論活動を開始。スハルト政権失脚直前に発表された処女作『サマン』はインドネシアの政治的・文化的変化を風刺し、物議を呼んだ。