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祝!一周年記念!! アジア文芸ライブラリー特集(1)

編集者インタビュー

アジアの文芸作品を紹介する春秋社の「アジア文芸ライブラリー」が2025年4月に一周年を迎えました。アジア書堂レビューアたちのお気に入りでもあるこのシリーズ。担当編集者の荒木駿(あらき しゅん)さんにお話をうかがいました。

アジア文学を通じた新たな読者との出会い

そうですね。アジアの本といえば中国と韓国の作品はすでに日本でもたくさん出ていて、特にエンタメとかSFは今までも沢山読まれているんですが、それ以外の本を読みたかった、待っていた、という読者の方がたくさんいらっしゃいます。そういった方がイベントに来てくださったり、SNSで感想をシェアしていただいて、こういう本が読みたかったという声を聞いています。そういう期待に応えられたことは、嬉しいと思っています。

特に弊社は、仏教書などの、専門書を中心に刊行している版元なのですが、このシリーズを通して新しい読者の方々に出会うことができました。今まで春秋社の本を読んだことがなかったという方にもたくさん買っていただいています。

編集者の思いを読者に届ける

まずは翻訳家、あるいは編集者(つまり私)が自信を持って読んで欲しいと薦められるものであることが第一です。一般的には海外文学の出版企画というと、主に本国での評価や売れ行き、受賞歴が基本的に考慮されます。アジア文芸ライブラリーではそういったことは一旦置いておいて、その作品にほれ込むというか、日本の読者にぜひ読んでほしいという思いがある本を出版することにしています。

企画の立て方についてお話しますと、英訳されているものであれば、私が読んでみて検討することもありますし、翻訳者からの持ち込みも多いですね。なかにはもうすでに翻訳してある原稿を全部送ってくださる方もいらっしゃいます。特にマイナー言語の場合は、翻訳者の方が翻訳してから出版社を探すという場合も結構あります。『美は傷』はそのひとつで、もともと2006年に自費出版のようなかたちで出版されていたんですけれど、版元が廃業して絶版になっていた作品で、日本でもう一度出版したいということで原稿を送ってくださいました。最初の十ページぐらい読んで、これは絶対出さなきゃと思って、それで出版を決めました。

去年の2月くらいに、アジア文芸ライブラリーというシリーズを始めます、と告知しました。その前にすでに、10作品くらい準備はしていたんですけれど、発表してからたくさんのアジアの言語の翻訳家の方から持ち込みがありました。今年はそういった作品もいくつか出版されます。

『至上の幸福をつかさどる家』は、今ゲラの校正の最中なのですが、現代インド、特にカシミールの紛争を扱ったかなりハイコンテクストな作品です。そうしたデリーやカシミールの現状をどうすれば読者に伝わるかとか、現地の言葉でアルファベット表記されている名詞だとかをどういうふうに翻訳するのかというところで、本当にいろいろな人の協力をいただいて、四苦八苦しながら訳されています。5月に出版される予定です。

本を所有する喜びを感じられる装丁を

デザインは佐野裕哉さんというデザイナーの方にお願いして、2人で相談しながらどういう装画にするかを考えています。やっぱり、本を所有することの楽しさってあると思うので、一冊だけでも綺麗だし、揃えて持っているとなお楽しいと思えるような造本を目指しています。私は結構古本マニアなので、全集とかシリーズもの本を揃えて所有するのが好きなんです。なのでこのシリーズも全部揃えて欲しいなって思います。本棚に置いておくと、ちょっと気分が上がるようなものを目指しています。

小さきものの声を拾うアルンダティ・ロイの作品との出会い

たくさんあるんですけれど、今でこそ海外文学の仕事をしていますが、実は日本の近代文学をずっと学生の頃から読んでいます。特に永井荷風が大好きで、『すみだ川』という作品の文章の美しさにほれ込んで、荷風の作品は今でもよく読んでいます。もう一つ挙げるなら、学生の時に、『至上の幸福をつかさどる家』の作者であるアルンダティ・ロイがその20年前に書いた『小さきものたちの神』という作品を読みました。それがはじめてインドの小説を読んだ経験です。インドの不可触民、ダリットやアンタッチャブルと呼ばれる人たちの生活のこととか、インドの風景のこととか、差別のこととかを扱った作品ですが。そういったことが美しい文章で幻想的に書かれていて、とてもおもしろかった。それがアジアの文学に関心を持ったきっかけですね。

大学院生の時に『至上の幸福をつかさどる家』の原本が出版されて、英語で読んでたんですけれど、日本語版が出るのをずっと待ってたんですね。で、その間に私が出版社に就職して、あの本いつでるのかな? って思っていたら、まだ日本語版の出版権は取得されていないということが分かったので、じゃあうちで出そうということになりました。

学生の頃、バックパッカーみたいなことをしていたので、やっぱりみんなインドとか行くじゃないですか。アルンダティ・ロイの作品を読む前にインドには行っていました。何回か行ったんですけれど、ケララとか南の方が好きで、あとは、ラダックも好きでした。チベットの文化圏に属していて、中国のチベットよりもチベットらしさが残っているといわれている標高3000m以上の高山地帯です。

特に日本でイメージされるインドって、ボリウッド映画とか『RRR』みたいな、ヒンドゥー国家としてのイメージが強いと思うんですけれど、アルンダティ・ロイが書いているインドはそれの真逆をいく世界です。もっと多様な地域性があるなかでの小さな声というか、国という枠にくくられない、さまざまなインドの小さな声を書いていて、それがすごく好きです。『至上の幸福をつかさどる家』の舞台はデリーから始まってカシミールへと展開されていくのですが、デリーのゲストハウスに集まった人達の群像劇が展開されていく筋書きになっています。それを手がかりにカシミールの紛争で戦っている人たちの人生に分け入っていくような感じですね。

そうですね。特に最近のモディ政権はヒンドゥー教のある種ナショナリズムに近い政権で、カシミールに対する弾圧を強めています。ヒンドゥー教に基づく「一つの民族、一つの宗教、一つの国家」みたいな考え方が席巻していると思うんですけれど、アルンダティ・ロイはそれに真っ向から反発して、国家の物語に回収されないようなカシミールの話を書いていますね。その前の作品でも彼女はケララの不可触民といわれる最下層カーストの人たちの、大きなインドのイメージにくくられないような話を書いています。

アジア文学に見る暴力の歴史

アジアでひとつ特徴的なのが、20世紀に経験してきた植民地支配、独裁政権、政治的な弾圧、そういった暴力の歴史を直視して、それを現在の問題として描いているところです。それは日本の現在の文学にはあまり見られない傾向ですね。日本文学では、戦争が終わってから80年ぐらいとりあえず平和に過ごしてきたので、戦争とか抑圧というものにたいして、真正面から取り組む人は少なくなったと思います。アジアの文学はその点、暴力の歴史について、切実な姿勢で取り組んでいる。

特に近年、新たに戦争が始まったりとか、権威主義的な国家に回帰するような動きが世界中であるなかで、アジアの暴力を含んだ歴史の語りっていうものが我々に訴えかけてくるものがすごくありますよね。ですから、今こそ読まれるべきだと思っています。

日本にいると、海外の国々について入ってくる情報って、固定的な観念に基づくものが多く、たとえばあの国は共産主義国だから、そういう人たちが住んでる、みたいな決まったイメージを想像してしまいがちです。しかし、やはり文学を読むと、そういったイメージに収まらない小さい人たちの声とか、国家の枠のなかでも多様性があることに気づき、小さな声を聞くことができます。

トランスボーダーなアジア

実態がある概念じゃないかなと思っているので、「ここからここまでがアジア」っていう言い方はあまりしないようにしています。特にアジア文学というと、アジアでアジアの人が現地の言語で書いた作品というイメージを持つと思うんですけれど、そこにも、ちょっともの申したい気持ちがあります。

例えば日本文学といったら、日本人が日本語で書いて日本で出版した小説だと思われるかもしれません。ではチベット文学はどうかというと、チベットには中国語で書く人もいますし、亡命チベット人が欧米で書いたりとか、中国のチベット自治区からインドに亡命したりとか、いろんな人がいます。そういったトランスボーダーな動きも含めてアジアを見てみることで、見えてくる景色もあるんじゃないかと思います。だからあまり「アジア」を限定せず、アメリカのアジア系作家の作品も、アジア文芸ライブラリーでは取り扱いたいですね。

今年出版する作品ですと、中国系二世の方が書いた作品もあります。今アメリカのアジア系文学が結構面白いと思っていて、親の出身国の言語、例えば中国語の影響を受けた、独特な英語を使って書く作家がいたり、多様な現実を描く文学が結構出版されています。言葉においてもトランスボーダーな動きが見えてきています。

白黒のつかない世界での文学の役割

2月に台湾のブックフェアに行ってきました。そこで紹介していただいて、今検討している最中の作品には面白いものがたくさんがあります。台湾の小説に関しては、今までは日本と関係のある作品、たとえば日本統治時代の台湾とか、アジア太平洋戦争が関係する作品を続けて出してきましたが、日本との関係だけしか見ないのはちょっと片手落ちのように思います。戦後の政治弾圧についての話とか、現代の話を描いた作品も今後は出していきたいですね。

台湾はしばしば「親日的」とも言われますが、戦後の国民党による独裁政権下では日本時代のことは徹底的に排除されていました。その後台湾が大陸の中国とは違う独自のアイデンティティを求めるなかで、日本に対する語り方も、それから大陸中国への態度も変容してきました。そんな簡単に白か黒か分けられない。

そうですね。5月刊行予定の『至上の幸福をつかさどる家』も、複雑で難解なので、一言でどこがおもしろいのかというのを言い表せないので、もどかしいんですけれど、そこが本を読む醍醐味かと思います。

アジア文芸ライブラリーならではの持ち味と今後の展開

個人のノリと勢いで作ってるところと中の人の好みが色濃く反映されているところだと思います。大手出版社だと、本国での受賞歴、評価、売れ行きが企画を通すうえでの判断基準になるので、やっぱりどうしても定番や話題の作品ばかりになってしまうと思うんですけれど、アジア文芸ライブラリーは私が気に入った作品を薦めるというコンセプトで、中の人の我が強いという(笑)。

片隅でやってるプロジェクトだと私は思っています。私はミニシアターでやっている映画や小さな劇場でやっている演劇とかが好きなんですけれど、メジャーとか王道じゃなくても、愛される映画館とか劇場ってあるじゃないですか。そういったものにしたいですね。

もう一つ付け加えると、春秋社という出版社が百年ほど前に創業して、最初に出したのはトルストイ全集だったんです。つまり元々は文芸出版社だった。今は専門書の出版社として知られているんですけれど、長い歴史のなかで小説をずっと出してきた出版社なので、このシリーズをきっかけにしてその小説の伝統を復活させたいと思っています。

私は自分がそんなに変わった人間ではないと思っているので、私が面白いと思ったものを面白いと思ってくれる人はそんなに少なくはないんじゃないかなと思います。


一周年を迎え、今後の展開がますます楽しみなアジア文芸ライブラリー。

既刊と今後のラインナップは、こちらの記事で紹介しています。

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