書籍

書籍レビュー「わたしたちが起こした嵐(アジア文芸ライブラリー)」

ヴァネッサ・チャン 著 品川 亮 訳 春秋社 刊

植民地時代のマラヤを舞台にした壮大な歴史小

戦時下での日本人の残虐性にはっとさせられ、女性の視点から語られる戦争体験が新鮮な作品

1930年代のイギリス植民地時代と1940年代の日本占領下のマレーシア(旧マラヤ)を行き来しながら物語は展開される。戦争下で数々の困難に直面するユーラシア系の主婦セシリーとその子どもたち。

セシリーは日本軍のスパイ、フジワラに惹かれ、家族を守るためにもスパイ活動に参加し、子どもたちも日本軍に過酷な労働を強いられたり、虐待を受けたりして悲惨な目に遭う。このような絶望の中で、彼らは果たして希望を見つけられるのか?

目を背けたくなるほどの日本軍の残虐性

本作には思わず目を背けたくなるような日本軍による残酷な悪行が度々描かれる。

                        (「わたしたちが起こした嵐」本文より引用)

この単純な描写だけでもはっとさせられた。ひょっとすると今の日本の若者の中には、日本軍がマラヤ占領下でどれほどひどい仕打ちを繰り返してきたか知らない人が多いかもしれない。

だがこのようなむごい歴史があったことは戦争被害者だけでなく、戦争加害者も後世に伝えていくべき事実ではないだろうか。イギリス植民地時代と日本軍統治下のマラヤが交互に描かれるため、否応がなしにその悲惨さを比較してしまう。そして、明らかにイギリス軍よりも日本軍の蛮行が目立っている。

自分の学生時代を振り返ってみても、戦争下での日本軍の残虐性について習った覚えはない。歴史を美化して都合の良い面ばかりを刷り込むのではなく、ありのままの事実を伝えた上で学習者に反省や気づきを促すのが本来の歴史教育の在り方だと思わない節もない。

次にこんな一節が登場する。

                     (「わたしたちが起こした嵐」本文より引用)

私は元々、『ラストサムライ』など戦争映画を見てみても、ピストルよりも日本刀での人の殺め方は残酷な気がしていた。だが本作ほど「露骨に」その残虐性を描いている作品は少ないように思う。

それはきっとマラヤ(現マレーシア)が戦争被害国であり、イギリス人よりも日本人が犯した残虐行為が脳裏にこびりついているからだろう。戦争加害国である日本は被害国からのこのような訴えを貴重なものとして真剣に受け止め、後世の育成に役立てるべきだろう。

女性の視点から語られる戦争体験

そしてもう一点印象的だったのが、一般的な主婦の女性である主人公の視点で戦争が語られる点だ。戦争映画では男性からの視点が多く、それに伴う戦闘シーンが見どころとなることも多い。

そんな中、本作の女性の視点は繊細で非常に温かみがあるように感じた。日本の昔ながらの家父長制では主人が家族を率先して守るイメージがあるかもしれないが、家にいる妻も家族のことをいつも気にかけ、必死で守ろうとする。

例えば、本作では家族を守ろうとする主人公の決死の決断が、終盤になるにつれ影響力を増し、戦争下での責任の重要性も描かれている。具体的には、主人公は日本人スパイに次第に惹かれていき、スパイ活動にも加担するようになるのだが、それは果たして家族のためになるのか。

人生はさまざまな選択と決断の連続だ。その時最善と思った決断が、後に思わぬ事態を招いたりする。戦争下ではその決断に伴う責任も非常に大きいのだろう。平時を生きる我々日本人も本作の主人公の決断を教訓にして、慎重かつ時に大胆な決断を心がけたいものだ。


著者紹介

ヴァネッサ・チャン

マレーシア出身で、現在はブルックリン在住の作家。『ヴォーグ』誌、『エスクァイア』誌など有名雑誌に作品を発表する。2024年に刊行された長編デビュー作である『わたしたちが起こした嵐』は20ヶ国以上で刊行が決定し、発売前から大きな話題を呼んだ。

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久米佑天

東京大学文学部卒業後、大手学習教材制作会社にて英語教材の校正・翻訳に携わる。現在は株式会社Aプラス専属校正・翻訳者としてさまざまなジャンルの文書と向き合う。これまでの訳書に『心理学超全史〈上・下〉―年代でたどる心理学のすべて』と『アンヌンに思いを馳せて:ウィリアム・ジョーンズの臨死体験に基づく物語』がある。

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