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『陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎』翻訳者・栖来ひかりさんに聞く(2)

2018年に第3回台湾歴史小説賞大賞を受賞した『陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎(原題: 陳澄波密碼)』は、台湾のゴッホと呼ばれ、近代美術の巨匠として知られる画家・陳澄波の生涯と、彼が生きた台湾の日本統治時代、第二次世界大戦後の白色テロ※1の恐ろしさを描いた作品です(日本語版は2024年に岩波書店から刊行)。翻訳者である栖来ひかりさんにインタビューした内容を2回にわたってご紹介します。後半は、台湾の歴史的背景をふまえた歴史フィクションの魅力、陳澄波生誕130年を記念した特別展などについてお聞きしました。

(インタビュアー:よしい あけみ)

『陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎 


柯宗明 著 栖来ひかり 訳 岩波書店 刊

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移行期正義のプロセスの中での歴史フィクション作品

——『陳澄波を探して』以外にも、たとえば『南光』『自転車泥棒』なども歴史フィクションになると思いますが、これは台湾の文芸作品の特徴の一つなのでしょうか?

歴史フィクションは、台湾では比較的新しい表現方法です。移行期正義※2の考え方が関わっていると私自身は思っています。移行期正義は、脱民主化する中で奪われた人権とか、独裁政権の中で奪われてきた人権とか、人権侵害の傷を癒したり、真実を追求したりといったプロセスなんですね。

1990年代から西洋で出てきた言葉を、台湾は早い時期に取り入れて、ここ35年ぐらい実行してきました。特にこの10年間は、蔡英文政権が移行期正義にかなり予算を割いていて、その中でエンタメがすごく育ってきているんです。

1987年の民主化以降、自由な表現はできるようになったのですが、アーティストやクリエイターが、歴史フィクションをエンタメとして使いこなせるようになってきた、つまり成熟してきたのは最近のことなんです。『自転車泥棒』の作者である呉明益さんあたりから始まったものだと思っています。

——例えば『牛車』の作者、呂赫若とのやりとりは事実なんですか?

見た人がいないので、フィクションとしか言えない。あと、美術史家が一番疑問を持つのではないかと思ったのが、陳澄波と陳植棋との友情です。陳植棋がそこまで陳澄波と仲が良かったという資料は残ってないんです。息子さん(陳重光氏)は、確かに陳澄波が一番好きだった友人が陳植棋だったと言ってたんですが、多分著者がその言葉から膨らませてた部分があるだろうなと思います。

——三つの謎とその解明とか、ミステリー仕立てになっている構成は面白いですよね。

そうそう、よくこんなこと考えたなって、私はちょっと感心しましたね(笑)。原題は『陳澄波コード』的な意味なので、作者は『ダ・ヴィンチ・コード』のような娯楽ミステリーを意識したのかも知れませんが、そこに重く複雑な歴史や社会問題、アイデンティティにまつわる問いが絡み合っていて、読みやすいけれど考えさせられる作品になっていて面白いです

——陳澄波のご遺族は、この作品をどのように受け止められていますか?

お孫さん(陳立栢氏)は「最初読んだ時、実は気分良くなかった」そうなんです。陳澄波について今現在わかっている事実は2割ぐらいで、あと8割はフィクションであるということで。「おじいちゃんって、こういう人じゃないんじゃないの?」と感じるところもあるし、かなり作者の想像が入ってるから最初は抵抗があったと。ただ、彼のお父さん、つまり息子さんである故・陳重光さんが、すごくよく書けた小説だと褒めておられるということで、最終的にお孫さんもこの小説を認めていらっしゃいます。

最終的にご家族も、本作品を通して日本の人に、陳澄波についてももちろんそうだけど、台湾のことを理解してもらうのに、とてもいい教材になるから、日本で翻訳されるのは嬉しいことだとおっしゃったので、じゃあそれだったらという感じもありました。

あとがきにも書いたんですけど、著者(柯宗明氏)の奥さん(施如芳氏)が、もともと陳重光さんにずっと取材されていて、資料を集めた副産物としてこの小説ができたのですが、自由度はかなり高めに書いてあるんですね。歴史をどう小説に落とし込むかっていうのは、常に大河ドラマでも問題になっていますね。今回の小説を翻訳することで、私としては遺族がどう考えるかを大事にはしましたが、ケースバイケースだと思います。難しい問題ですね。

黒潮、北回帰線、季節風という台湾アイデンティティ

——今年は陳澄波の生誕130周年だそうですが、それを記念した特別展について教えてください。

2024年12月3日から2025年5月11日まで、台北市の台湾博物館鉄道部園区で、陳澄波生誕130周年記念特別展「走揣 咱的所在(私たちの居場所を探して)」が開催されています。陳澄波の描いた8枚の絵が展示されており、その中の1枚が、2015年に山口県防府市の防府市立図書館で発見された『東台湾臨海道路』です。一見、8枚という展示数は少なく感じられるかもしれませんが、この展覧会には深い意味が込められているんです。

背景には、陳澄波のお孫さんで陳澄波文化基金会の会長、陳立栢さんの経験があります。長年海外で生活されていた立栢さんは、台湾人としてのアイデンティティに悩まれたそうです。例えば、スウェーデンの友人は自国について「スカンジナビア半島の真ん中にある」と説明しても、決して「ノルウェーの隣」とは言わない。一方、「台湾ってどこにあるの?」と聞かれた時、自分は「中国大陸の下」とか「日本の下の方」と答えていた。そこで、自分自身が台湾を周縁化してしまっているという事実に気づいたといいます。

台湾に戻り文化基金会の仕事を引き継ぐ中で、陳立栢さんは重要な発見をします。陳澄波が描いた台湾の風景画の中に、台湾の場所を定義する三つの要素が隠されていたのです。東台湾を流れる黒潮、陳澄波の故郷嘉義を通る北回帰線、そして季節風(モンスーン)です。この三つの要素が交わることで、人々が住みたいと思う美しい島が形作られたんですね。

今回の展覧会では、この特徴を伝えるために、新しい試みがなされています。絵画の展示だけでなく、博物館が所蔵する古い標本や研究資料を活用し、黒潮がもたらす海の生態系など、台湾の自然の豊かさを総合的に紹介しているのです。子どもたちに台湾の本質的な価値を伝えようという意図が感じられる展示となっています。

陳澄波を二・二八の十字架から降ろす未来

——陳澄波のお孫さんである陳立栢さんは、展覧会のオープニングで印象的な言葉を語られたそうですね。

「民主化から35年経って、そろそろ陳澄波を二・二八の十字架から降ろしたい」とおっしゃいました。二二八事件※3で亡くなった陳澄波は、民主化の後に悲劇の英雄としてもてはやされたんですね。でも、これからは、陳澄波の作品が、台湾の人たちにとって、台湾を知り、幸せな台湾の姿を感じられ、社会のために役立つものになってほしいと。この35年間は、さきほどお話した移行期正義のプロセスそのものだなと思うんですよ。その素晴らしい活動に関わらせてもらえて、私自身、すごくよかったと思っています。

——最後に、日本の読者に向けてメッセージをお願いします。

『陳澄波を探して』は、最初にお話した通り、とにかく小説の力、物語の力がすごくある作品です。移行期正義の話もそうなんですけど、台湾史が結構複雑なので、それをどう説明するか苦労するし、聞いてる方もいろいろ説明されてもピンとこないと思うんです。「戦後、戦前、戦後のアーティストってどういう気持ちだったんだろう」とか、「二・二八事件の後って日本統治時代に活躍してた人はどうだったんだろう」とか「二・二八事件って、地方ではどんなことが起こってたんだろう」とか、疑問があれば、とりあえずこれを読んでっていう風に言える小説ですよね。

この中に描かれている台湾の人たちが、日本の植民地化の中で、一枚岩ではなく、それぞれの立場でいろんなことを考え、感じていたということ。利益を受けてた人もいれば、不満に思っていた人、傷つけられた人とか、いろんな人がいるわけですよね。この小説の中でも。台湾は、たとえば親日だというステレオタイプで見られがちですが、それだけではないというのが、この作品を読んでもらうとわかるんじゃないかなと思います。

脚注:
※1 白色テロ:1947年の二・二八事件による大規模な民間人虐殺に続き、1949年から1987年まで続いた国民党政権による組織的な政治弾圧期。戒厳令下で、共産主義者や台湾独立派への取り締まりとして、逮捕、拷問、処刑が行われ、多くの知識人や活動家が犠牲となった。

※2 移行期正義(Transitional Justice): 権威主義体制から民主主義への移行過程で、過去の人権侵害に対して行われる包括的な取り組み。真実究明、加害者の処罰(応報的正義)、被害者への補償、そして教育や対話を通じた社会の和解(修復的正義)を目指す。1990年代に理論化された概念で、南アフリカの真実和解委員会はその代表的な実践例として知られる。アジアでは、台湾が2016年に「促進転型正義条例」を制定し、韓国では1990年代後半から光州事件に関する法制化を進めるなど、各国で取り組みが行われている。

※3 二・二八事件: 1947年2月28日に発生した台湾民衆による抗議運動とその弾圧。専売局職員による密売タバコ没収をきっかけに、国民党政権への不満が爆発。軍隊による武力制圧で、1万人以上の民間人が犠牲となったといわれ、その後の白色テロ期における政治弾圧の先駆けとなった。

栖来ひかり (すみき ひかり)

文筆家。山口県生まれ。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。主な著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2018)、『時をかける台湾Y字路 ──記憶のワンダーランドへようこそ』(2019)、『日台万華鏡:台湾と日本のあいだで考えた』(2023)、訳書に『陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎』(2024)がある。

陳澄波 (チン・トウハ)

1985年、現在の台湾南部の嘉義市出身。日本の東京美術学校(現・東京芸術大学)で学び、1926年、台湾人画家として初めて帝展に入選。1947年の二・二八事件で中華民国政府軍によって殺害された。台湾近代美術界を代表する画家として、その作品は高く評価されている。主な作品に『淡水夕照』、『東台湾臨海道路』、『嘉義街中心』など。

柯宗明(カ・ソウメイ)

台湾の作家、脚本家、舞台・映像監督。テレビおよび演劇業界に長年たずさわり、テレビ番組『台湾郷鎮文化志』やドキュメンタリー『台湾美術史』をはじめ、多くの作品の脚本や演出を手がける。2018年に初めて執筆した『陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎』で第3回台湾歴史小説賞大賞受賞。

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よしい あけみ

ライター、食文化研究家。日本で情報誌の編集を経て、豪州に留学。寮で大勢のインド人学生と暮らしたのがきっかけでインドに開眼。その後南インドで10年以上暮らす。物心ついたときから、なんでも食べて、なんでも読むことが信条。

  1. 『陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎』翻訳者・栖来ひかりさんに聞く(2)

  2. 『陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎』翻訳者・栖来ひかりさんに聞く(1)

  3. 書籍レビュー「陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎」

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