柯宗明 著 栖来ひかり 訳 岩波書店 刊
開けたのはパンドラの箱?それとも宝箱?「台湾のゴッホ」を巡る歴史アートミステリー。

表紙をめくると、いきなり目に飛び込んできたのは、眼力の強い男の肖像画だった。周りに描かれているまあるい物体は、パイナップルの輪切りのようにも、男の眼差しの残像が重なっているようにも見えて、少しドキリとした。
時は1984年、戒厳令下の台湾・台北市(戒厳令は1987年に解除)。アメリカで美術を学んだ若い画家、阿政のもとに、匿名の依頼主から謎に満ちた絵の修復依頼が届く。唐突で不可解な依頼に疑問を抱いた彼は、新聞記者の恋人、方燕とともに謎を解き明かすことにする。第3回台湾歴史小説賞大賞受賞作。
「時間と記憶は、昔ながらの漢方薬の店にある薬箪笥の小引き出しみたいなものだ。適当に選んで一本を引き出せば、底をスクリーンにしてその時々の歴史が映し出される」——印象的な書き出しを、思わず繰り返し読んでみた。
すると、そのあとに続く描写から、自分が「ちょっと薄暗くて、独特の香りが漂う一軒の漢方薬店に入り、ずらりと並んだ引き出しを一つ開けると、台湾の歴史的映像がコマ送りフィルムのようにぱーっと繰り出される。そうかと思ったら、突然、若者二人が手紙を読んでいる1984年でピタリと止まる」のを実際に見ているような不思議な錯覚に陥った。
本書は、長年台湾のテレビや演劇業界で脚本や演出を手がけてきた柯宗明の小説処女作だ。この作品を発表した2018年、いきなり第3回台湾歴史小説賞の大賞を受賞する。しかも、これまで6回開催された同賞で唯一の大賞受賞作品だと知り、書き出しの「演出」の巧みさに納得した。
「消された」画家を追う謎解き
この物語は、タイトルの通り、「陳澄波」という実在の画家(1895-1947)の生涯をテーマにしている。彼は、台湾近代美術の巨匠であり、冒頭の絵は自画像だ。なぜそこまではっきりしているのに「ミステリー」になるのか。タイトルにある「消された」という意味は何であるのか。読者も、阿政と方燕の二人と一緒に謎解きの旅に出るのである。

物語の鍵となる、阿政の元に持ち込まれた謎の絵。 陳澄波『琳瑯山閣』(1935)Provided by the Chen Cheng-po Cultural Foundation.
旅の途中で私たちは、この物語の世界には、異なる立場の人々による「複数の視点」が存在することに気づく。
ナビゲーター役の阿政と方燕は、陳澄波という画家についても、その生涯についても知らない。一方で、現在の台湾では、陳澄波は台湾史上最も高値で取引される有名画家だ。さらに新聞記者である方燕が中国の作家、魯迅を知らないシーンが出てくるが、それは彼女がすっとぼけているわけでも、勉強不足なわけではない(阿政は本省人※1、方燕は外省人※2という設定)。それぞれの認識のずれのようなものも、物語に独特の奥行きを与えている。
また読者には、阿政と方燕を追う怪しい黒い影が見え、そして私たち日本人は、「メイワク」や「センパイ」など聞き慣れた言葉が台湾の人々の間で飛び交うのを目の当たりにし、さらには意外なところで非常に日本的な光景に突然遭遇して驚いたりする。
大広間を一巡したふたりに座るよううながした楊三郎は、安楽椅子に腰かけて優雅に椅子を揺らした。楊夫人がばたばたと、「昭和の魂」を作曲したと言われる古賀政男のギター演奏のレコードをかける。間もなく、『男の純情』の優美な旋律がスピーカーから響いてきた。それから夫人は、京都の清水焼の茶碗に宇治の抹茶を点(た)てて客人のもとに運んできた。
「陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎」本文より引用
阿政と方燕が話を聞きに訪れた、台北生まれの台湾人画家、楊三郎邸の描写だ。
台湾の「日本時代」を巡って
物語は、台北や陳澄波の出身地である嘉義、代表作『淡水夕照』に描かれる淡水の街や、写生に訪れる台湾各地、さらには東京や上海を移動し、台湾の日本統治時代(日本時代)の文化的エリートたちが次々と現れる。一般的なミステリー小説と違うのは、謎解きの対象が実在の画家とその作品、そして阿政と方燕以外の登場人物がすべて歴史上の人物であるということである。

陳澄波『淡水夕照』(1935-1937)Provided by the Chen Cheng-po Cultural Foundation.
陳植棋、林玉山、袁枢真、楊三郎、李石樵、劉新禄といった画家、さらには以前書評でも紹介した、日本時代の台湾人作家が日本語で書いた短編を集めた『パパイヤのある街 台湾日本語文学アンソロジー』にも収められている作家の呂赫若や楊逵らが、陳澄波と侃侃諤諤する。
そうかと思えば、台湾の詩人・焦桐が『味の台湾』の中で、「日本統治時代、台北で最高級の料理店であるだけでなく、台湾総督府や台湾総督府博物館に並ぶ台北の三大建築の一つであった」と紹介した江山楼も舞台として出てくる。陳澄波は、その場所でこんな言葉を残す。
君らの日本への見方は僕のとは違うようだ。もしかすると『生まれた時の祖国』と関係がありそうだな。僕や楊サンはどちらも十九世紀末、清朝時代の生まれで中華というお乳を呑んで大きくなった。だが君たちは皆二十世紀初め、日本時代に生まれ、生まれてすぐ大和のお乳で育った。だから心の中の祖国は中華ではないのだろう。
「陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎」本文より引用
陳澄波は清朝・台湾が日本に割譲された1895年に生まれ、そして1947年2月、二・二八事件※3の犠牲となった。
歴史フィクションが担う役割
本書は歴史フィクションである。すべてが史実どおりというわけではない。台湾作家の他の作品、朱和之の『南光』や、呉明益の『自転車泥棒』もこのジャンルに入るだろう。翻訳者インタビューの中で、訳者の栖来ひかりさんは「歴史フィクションは台湾ではまだ比較的新しい手法で、台湾の移行期正義※4プロセスの一環として捉えることができる」という見方を示した。作家たちが台湾の歴史をエンターテインメントとして作り上げる成熟を見せているのは、国家レベルのトラウマから回復が進んでいる証なのだろうか。
この物語を通して、私たちは台湾の歴史を重層的に知ることになる。陳澄波の生涯を通して台湾の日本時代を、阿政と方燕を通して台湾の白色テロ※5を、また、日本が台湾でとった植民地政策において、芸術全般がどのような力を持つ存在であったのかも感じとることができる。陳澄波は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)で学び、台湾人画家で初めて帝展に入選するという快挙を成し遂げたにもかかわらず、台湾で美術教師の仕事などに就くことができなかった。そこは日本人だけで占められていたのだ。
さらに、別の意味で心に刻まれたのは、何度も登場する「光復」という言葉だ。1945年10月25日、50年に及ぶ日本統治から台湾が離れ、中華民国の統治下に入ったことを指す言葉で、「光明を取り戻す」というようなある種希望に満ちた響きもある。しかし、実際の展開は、言葉のイメージから大きくかけ離れたものとなってしまったのを私たちは知っている。
「台湾光復、天地之草木普天同慶、可欣可賀、吾人生於前清、而死於漢室者、実終生之所願也。(台湾光復を/天地草木も/皆喜んでいる/清の時代に生まれた私は/漢民族として死ぬだろう/一生の願いを果たしたのだ)」という文章を残している陳澄波の思いは、いかばかりであったか。
そして「物語」は続いていく
実は、物語の成立自体にもドラマがある。もともと著者・柯宗明の妻で脚本家の施如芳が、陳澄波のお孫さんである陳立栢氏の依頼を受け、陳澄波の妻・張捷を主人公にした脚本を書くにあたって、著者も取材に同行するうち、いわば副産物として出来上がった物語なのである。このあたりのことは「訳者あとがき」に詳しいのでぜひ読んでほしい。
また、本書を通して知った人物や事柄をもっと知りたくなり、探ってみたくなる読者も多いだろう。たとえば、阿政の恩師である画家・李石樵が異様な雰囲気の漂う『大将軍』という自分の作品を取り出し、その人物を見た阿政が絶句するシーンでは、それが誰なのかは明かされないが、かえって探究心を刺激する。つまり、物語は作品を飛び出して、読んだ人の数だけ、また新たな物語を紡いでいくのかもしれない。
翻訳者インタビューの中で、「台湾はまだ建国途中なんです」という訳者の言葉を、ハッとする思いで聞いた。それは、この作品の現代的意義を考える上で重要な示唆を与えてくれる。2025年は、陳澄波の生誕130周年という節目の年にあたり、台北市の台湾博物館鉄道部園区で、陳澄波生誕130周年記念特別展(2024/12/3- 2025/5/11)の開催中だ。そう遠くないうちに、陳澄波の愛した美しい台湾で、彼の作品の息遣いを間近で感じてみたいと思う。
脚注:
※1 本省人:日本統治時代以前から台湾に住んでいた漢民族とその子孫。
※2 外省人:1945年以降、国民党とともに中国大陸から台湾に移住してきた人々とその子孫。
※3 二・二八事件: 1947年2月28日に発生した台湾民衆による抗議運動とその弾圧。専売局職員による密売タバコ没収をきっかけに、国民党政権への不満が爆発。軍隊による武力制圧で、1万人以上の民間人が犠牲となったといわれ、その後の白色テロ期における政治弾圧の先駆けとなった。
※4 移行期正義(Transitional Justice): 権威主義体制から民主主義への移行過程で、過去の人権侵害に対して行われる包括的な取り組み。真実究明、加害者の処罰(応報的正義)、被害者への補償、そして教育や対話を通じた社会の和解(修復的正義)を目指す。1990年代に理論化された概念で、南アフリカの真実和解委員会はその代表的な実践例として知られる。アジアでは、台湾が2016年に「促進転型正義条例」を制定し、韓国では1990年代後半から光州事件に関する法制化を進めるなど、各国で取り組みが行われている。
※5 白色テロ:1947年の二・二八事件による大規模な民間人虐殺に続き、1949年から1987年まで続いた国民党政権による組織的な政治弾圧期。戒厳令下で、共産主義者や台湾独立派への取り締まりとして、逮捕、拷問、処刑が行われ、多くの知識人や活動家が犠牲となった。
著者紹介
柯宗明(カ・ソウメイ)
台湾の作家、脚本家、舞台・映像監督。テレビおよび演劇業界に長年たずさわり、テレビ番組『台湾郷鎮文化志』やドキュメンタリー『台湾美術史』をはじめ、多くの作品の脚本や演出を手がける。2018年に初めて執筆した『陳澄波を探して: 消された台湾画家の謎』で第3回台湾歴史小説賞大賞受賞。