楊 逸 著 文藝春秋 刊
第139回芥川賞受賞の中国大河小説

壮大なテーマを扱いながら、昭和の日本のヒット曲を散りばめ、読みやすい柔らかな語り口の作品
1989年の天安門事件から北京オリンピック前夜、民主化運動に参加した若者たちの青春と挫折を描いた作品。主人公たちは中国を民主国家にしようと奮い立ち、大学の友人や教授と共に政治談議やデモ行進に参加する。
だが運動は難航し、最後に天安門事件によって武力で制圧されてしまう。主人公たちのターニングポイントのひとつがこの事件での挫折だ。
その後、日本に行く者や中国に留まる者など一度は離散したが、中国の急速な経済発展やオリンピック招致運動を挟みながら、その後再会を果たす。
このように本作は、個人的な成長物語に留まらず、激動の時代の中国の歴史的背景やその影響を受けた人物の人生についても理解を深めることができる。
中国ならではの壮大なスケール
誰もが中国の何千年にも及ぶ歴史の深さとそれが生み出した多様な文化の世界的影響力を認めるであろう。私も本作品の時代背景と被る2000年初頭に実際に中国に旅行した身としては、その歴史の壮大たるや頭が下がるばかりである。
個人的には日本の中国残留孤児の半生を描いた山崎豊子著『大地の子』のテレビドラマや、浅田次郎の不朽の名作『蒼穹の昴』の世界観が好きなため、本作の中国らしいスケールの大きさには惹かれた。
例えば、学生デモ隊たちが自由を求めて一斉に天安門広場に集結したシーン。私も天安門広場は車窓から眺めたことがあるが、数分通り過ぎていく景色を見るだけで中国の重く深い歴史がその広場に刻み込まれているのが分かり、圧倒されたのを覚えている。
「素晴らしい朝日だ。この黄色い大地に日が昇ってくるのを見て、中華子孫としての血が騒ぎ出すんだ」
(「時が滲む朝」本文引用)
その国土の大きさや長い長い歴史から、中国人にはきっと「同朋意識」が他の国民に比べて強いのではないだろうか。そして世界で二番目に多いとされる人口を擁する中国には実に多様な人種や民族が集まっているが、その分一致団結した時の影響力も計り知れないものがある。
この一節で言うところの「中華子孫としての血」が騒ぎ出す時、それは日本人が想像できないほどの高揚感と決意、そしてそれに伴う大きな「革命」を意味するのだろう。
母国語が日本語でないからこそ書ける読みやすさ
本作は扱う内容が深いだけに、どこかお堅くとっつきにくさがあるのではないかと偏見を持って読み進めてしまっていたが、すぐにその偏見は覆された。
母国語が日本語でない著者が難しい言葉を使わないからこそ、すっと内容が頭に入っていき、それでいて情景もすぐに思い浮かぶ。
「ふるさとはね、自分の生まれたところ、そして死ぬところです。お父さんやお母さんや兄弟たちのいる、温かい家ですよ」
(「時が滲む朝」本文引用)
これは個人的に気に入った一節で、簡単な言葉で当たり前のことを言っているようだが、現代人が忘れかけている「ふるさと」とはまさにこのことなのだと我に返らされた。私にももちろん「ふるさと」があり、そのありがたさに感謝しながら日々過ごしたいものだ。
ノスタルジックなテレサ・テンや尾崎豊の曲
最後に本作では所々に昭和を感じさせる曲が登場するシーンが印象的だった。聞くところによると著者の体験に基づくとか。例えば、尾崎豊の「I LOVE YOU」。日本人なら誰しも聞いたことがある曲を散りばめることで作品に親近感を持たせている。
本作では民主化運動に失敗した時に主人公たちがこの曲を聞くことが多いのだが、挫折した時にしみじみと聞くと確かに歌詞の意味がより分かるような気がして胸がジーンとなった。音楽も聴くシチュエーションによって感じ方も変わるのだと改めて痛感した。
テレサ・テンについては、正直私は詳しく知らなかったが、本作では主人公たちのアイドル的存在として登場する。私はアイドルに全く興味がないのだが、きっといつの時代も誰もが憧れ好意を寄せたくなる存在がいるのだろう。
懐古主義に傾倒しているわけではないが、私はドラマ、映画、音楽などどれも現代的過ぎるのものよりも少し古い世代に流行ったものの方が胸に刺さることが多い。本作の昭和を匂わせる曲たちに流れる情緒は、是非とも今の若者にも分かってもらいたいものだ。
著者紹介
楊 逸(ヤン・イー) 1964年、中国ハルビン生れ。1987年来日。1995年、お茶の水女子大学文教育学部卒業。2007年、『ワンちゃん』で文學界新人賞受賞。2008年、『時が滲む朝』で日本語を母国語としない作家として初めて芥川賞を受賞。他の代表作に、『金魚生活』、『「酸甜苦辣」の大陸 おいしい中国』、『獅子頭(シーズトォ)』、『中国歴史人物月旦 孔子さまへの進言』などがある。2009年より関東学院大学客員教授も務める。