マララ・ユスフザイ 著 キャラスクエット絵 木坂 涼 訳 ポプラ社 刊
女の子が教育を受ける権利を訴え続けるマララの自伝絵本

マララが住んでいた地区がタリバンに制圧され、女の子が教育を受けられなくなった。マララはそれに反対したためタリバンから銃で撃たれる。危険を冒してまで女子教育のために立ちあがったのは、どんないきさつがあったからなのかをマララ自身が語っている。
小学校のとき、夢中で見ていたテレビアニメがあった。主人公は魔法のえんぴつを持っていて、そのえんぴつでかいたものはすべて本物になるのだ。そのえんぴつが欲しくてたまらなかった。そんなある日、ゴミ捨て場で金属やびんを拾っている子供たちを見かけた。父親に聞くと、その拾ったゴミを売ることで暮らしているので、学校へ行けないのだと教えてくれた。魔法のえんぴつがあったら……。
数年後、武器を持った男たちが町を支配して、女の子が学校へ行くことを禁じた。こんなことがあっていいはずがない。だれかが声をあげなくては。そのとき、そのだれかはわたしなのだと気がついた。魔法を起こすには、自分が行動しなければならないのだ。だから、新聞やインターネットで情報を発信し、多くの人の前で話した。そのせいで、銃で撃たれ、死にそうな目にあった。でも、わたしはこれからも学ぶ権利を求めて声をあげつづける。
マララやパキスタンについてもっと詳しく知りたい方は次の書籍もお薦めだ。『マララ・ユスフザイ』(文渓堂)。ページ数が少なく、マンガやイラストによる説明が多いので読みやすい。
短く簡潔な文章から多くのことが読みとれる
たった39ページの絵本に過不足なく必要なことが描かれている。すべてひらがなで、リズムのある読みやすい文章だ。短い文や絵から、さまざまなことが読みとれる。たとえば、魔法のえんぴつがあったら実現したい内容から、ひとりになれる部屋がほしいと思っていること、朝起きるのが苦手なこと、弟たちはボールを買えなくて古いくつしたを丸めたものをボールにして遊んでいることなどがわかる。
町の絵では、破壊された建物があり、爆撃のことには触れられていないが、大変な状況なのが想像できる。絵は淡いパステル調の色合いが多く、やさしい雰囲気だ。また、花や模様の絵が美しい。人物の表情からはその人の感情も見てとれる。爆撃や銃で撃たれた場面の描写はないので、幼い子どもを怖がらせるようなことはない。
マララをここまで育てたもの
マララはなぜノーベル賞を受賞するほどのすばらしい人物になれたのか? もちろん、マララ自身が賢くて勇気ある女性だったということもある。だが、両親、特に父親に負うところが大きい。パキスタンでは、女の子は家の仕事をするだけで、学校へも行かせてもらえないことがある。だが、マララの父親は、若いころから男の子と女の子どちらも学べる学校を作る夢を持ち、「鳥のように自由に生きていいんだよ」とマララに言っていた。母親も理解のある強い女性だった。生まれたときから家が学校だったので、マララにとって、学校はあたりまえの場所だった。このような環境に恵まれたからこそ、今のマララがあるのだろう。
マララは魔法のえんぴつがほしいと思っていたが、行動を起こしたことで大切なことを発見する。
あなたは まほうを しんじますか?
わたしは しんじます。
(中略)
わたしは きづいたのです。
まほうの えんぴつは、じぶんの ことばと、
じぶんの こうどうの なかに あるのだと。
(「マララのまほうのえんぴつ」本文より引用)
言葉と行動には魔法を起こす力があると信じて、活動を続けているのだ。 2025年1月現在、マララはアフガニスタンのタリバン暫定政権を非難し、同国の女性の保護権利を求めて声をあげている。
著者紹介
マララ・ユスフザイ(文)
1997年パキスタン生まれ。女性への教育の必要性や平和を訴える活動を続けている。2009年、BBC放送のブログでタリバンによる恐怖政治の現状を伝える。2012年、タリバンから銃撃を受けるが、奇跡的に一命をとりとめる。2011年第1回パキスタン国民平和賞、2014年史上最年少の17歳でノーベル平和賞を受賞。著書に『マララが見た世界 わたしが出会った難民の少女たち』、クリスティーナ・ラムと共著の『わたしはマララ』、パトリシア マコーミックと共著の『マララ 教育のために立ち上がり、世界を変えた少女』などがある。
キャラスクエット(絵)
夫セバスチャンと妻マリーによるイラストレーターユニット。パリ在住。マンガやイラストレーションの分野において、国内外で活躍中。