書籍

書籍レビュー「肉のない日: あるパキスタンの物語」

サーラ・スレーリ 著 大島 かおり 訳 みすず書房 刊

「第三世界に女はいない」とサーラは言った

自伝なのか、一国の歴史を振り返る本なのか、エッセイなのか、小説なのか——いや、そのすべてであって、どれでもない。読者はまるで優美な「不思議の国」に迷い込んだような気持ちにさせられ、するすると引き込まれていく。

本書『肉のない日: あるパキスタンの物語』の著者、故サーラ・スレーリは、パキスタン出身の英文学者であった。米国に移住し、イェール大学英文学部の教授となった。フェミニストとしても知られる。彼女の半生と故郷パキスタンの歴史を、独特の世界観と鋭い感性で同列に描き、エレガントで軽やかな空気感を纏ったこの作品は、どこか風変わりな魅力にみちあふれている。

美しい模様を無限に構築する万華鏡のように

「女のすばらしいところ」、「肉のない日」、「わが友ムスタコーリ 完璧な無知についての考察」、「さようなら、トムの偉大さよ」、「正しい道——もしくは道を誤った人」、「パパとパキスタン」、「イファットの極端さ」、「ママの知っていたこと」、「昼の光を救う」という9つの物語で構成される本書の主な登場人物は、著者であるサーラとその家族、彼らと関わりのあった人々だ。物語は時系列で進んでいくわけではない。といって、それぞれが独立した作品でもない。

ストーリーは、時間も時代も場所も、まるで最初から存在してなかったかのように超越し、蝶が遊ぶようにひらひらと自由な視点で、自分が経験していない出来事ですら、そこにいたかのように鮮やかに描き出し、物語を瞬時に再構築していく。

この作品を、「カレイドスコープ」つまり万華鏡に喩えたアメリカの書評者がいたと紹介する訳者、故大島かおり氏のあとがきに、ああ、それだ!と大いに納得した。過去と現在、東洋と西洋の境界を軽やかに行き来しつつ、記憶の断片を美しく組み換え続ける万華鏡を手に取り、そこに映る光景を物語へと変える永遠の少女サーラ(あえてこう呼びたい)の姿を思い浮かべた。

週二日の「肉なしデー」はなにを語るのか

前ふりはこのくらいでいいだろうか。最初の物語「女のすばらしいところ」で、すべての読者は先制パンチを喰らうと言っていい。

『肉のない日: あるパキスタンの物語』収録「女のすばらしいところ」より引用

「第三世界に女はいない」、だって?その言葉を二度見しながら、以前、パキスタン出身の男性に、ご家族は何人ですか?と質問したときのことを思い出した。男性メンバーの人数だけ教えられ、女性の数が入ってなかったことに軽い衝撃を受けたのだ。それがたまたまだったのか、それとも一般的なことなのかはわからない。あの日の私は彼にそれ以上のことを訊けなかった。

「タイトル・エッセイ」の「肉のない日」は、1947年のパキスタン建国直後、家畜の備蓄量を維持する名目で、週二日を「肉なしデー」と定めたパキスタン政府の政策に由来する。本書の二番目の物語だ。そのせいで肉が食べられなかった話を彼女はしたいわけではない。あくまで本当に語りたい別の何かの「メタファー」なのだ。

「ものの名前をちゃんと覚えもしないうちから文法に夢中になった」早熟な少女

では、彼女はなにを語りたかったのか。

サーラの生い立ちをざっと紹介しよう。

サーラは1953年、パキスタン人の父と英国人の母のもと、パキスタン建国時の首都カラーチー(1958年にイスラマバードへ遷都)で生まれた。父親のZ・A・スレーリは政治ジャーナリストで、パキスタン建国の父ジンナーを崇拝する政治運動活動家としても知られ、入退獄を繰り返す。ウェールズ出身の母のメイア・ジョーンズは、結婚後にパキスタン名スライヤを名乗り、北部の都市ラホールにあるパンジャーブ大学で英語教授を務めた。子どもたちはサーラを含めて6人。すぐ上の姉イファットの悲劇的な死は作品全体に悲しい影を落とす。16のとき、34歳も年上の祖父の後妻となったという祖母も印象的な女性だ。

私が本書の一番の魅力だと感じたのは、サーラ独特の文体や言い回し、言語美意識的なものである。

骨の髄までジャーナリストだった父、「ジェーン・オースティンなしではいられなかった」母の血を受け継いだ彼女は、小さいうちに話すことを覚えセンテンスに興味を示し、「ものの名前をちゃんと覚えもしないうちから文法に夢中になった」という。

たとえば、“subtley”という語についてこんな表現をしている。

『肉のない日: あるパキスタンの物語』収録「わが友ムスタコーリ 完璧な無知についての考察」より引用

英国で学んだ父の英語の発音に関する分析も興味深い。

『肉のない日: あるパキスタンの物語』収録「パパとパキスタン」より引用

パキスタン建国時の波乱にみちた時代、記事を書きまくって新聞を刷り続ける父の姿を見つめる子どもたちの目は冷静だった。

『肉のない日: あるパキスタンの物語』収録「パパとパキスタン」より引用

そして、その”h-i-s-t-o-r-y”、歴史でお腹いっぱいになり、「もっと穏やかな風味、私の忠誠をこんなに要求しない」場所を求めて、サーラは米国に移住するのである。

自分の知る都は死んだと嘆く大詩人の姿に重ねて

米国で大学教授となったサーラが、第三世界の文学を教えていたことは冒頭に書いた。1989年に発表された本書以外にも、何冊かの書籍を世に出している。2017年には、彼女が心から尊敬する、ムガル朝最後の皇帝の宮廷詩人ガーリブの作品に焦点をあてた 『A Tribute to Ghalib(ガーリブに捧ぐ)』(未邦訳)を共著の形で発表した。

ガーリブとの出会いについては、スレーリ家でウルドゥー語を教えた家庭教師シュティの影響であったと述べている。「一八五七年のインドの大反乱ののち、自分の知っていた都は死んだと、身を切られるように嘆き悲しんだ。大いなる詩人」と紹介する言葉は、彼女の姿にぴったり重なる気がした。

サーラが書きたかったのは、失われた故郷だったのだろうか。「第三世界に女はいない」と言いつつ、いや、だからこそ、本書では故郷で暮らした一族の女性たちの人生にフォーカスしたのではないか。

私はインドに10年以上住んでいたが、お隣さんであるはずのパキスタン人に会う機会はほとんどなく、サーラの生まれた国は、どこか遠い存在であった。だが、ずっと昔はひとつの国であったという紛れもない歴史的事実を、彼女ははっきりと思い出させてくれた。

亡くなった姉イファットがサーラに宛てた最後の手紙で、「水仙ナルギスの時季」に「まるで花園」のようになると書かれたラホールをいつか訪れてみたい。その街角に立って、「魚型の水泳プール」のある家で、「食べたあとに唇が何時間もひりつく」ラーオ魚の料理をスレーリ一家が勢揃いで食べたり、子どもたちがしっちゃかめっちゃかにプールを掃除したあと、ホタルが舞う庭に立ち、サーラたちが笑い声をあげた姿を想像してみたいと心から思った。


著者紹介

サーラ・スレーリ

1953年、パキスタン生まれ。パンジャーブ大学で学んだのち、1970年代半ばに渡米。インディアナ大学で英文学の学位を取得し、その後イェール大学の教授となる。2022年に死去。主な著書に『肉のない日: あるパキスタンの物語』(1989年)、『修辞の政治学: 植民地インドの表象をめぐって』(1992年)、『Boys Will Be Boys: A Daughter’s Elegy』 (2003年)、共著に『A Tribute to Ghalib』(2017年)がある。

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よしい あけみ

ライター、食文化研究家。日本で情報誌の編集を経て、豪州に留学。寮で大勢のインド人学生と暮らしたのがきっかけでインドに開眼。その後南インドで10年以上暮らす。物心ついたときから、なんでも食べて、なんでも読むことが信条。

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