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書籍レビュー「パパイヤのある街 台湾日本語文学アンソロジー」

楊千鶴、翁鬧龍瑛宗 他 著 山口守 編 皓星社 刊

『台湾漫遊鉄道のふたり』の実在モデルが書いた唯一の小説を収録

20年以上前に初めて台湾を訪れた時、南部の高雄市で、お年寄りから完璧かつ美しい日本語で話しかけられてびっくりしたことがある。日本と台湾の関係については、歴史の教科書で習った程度の知識しかなく、少々面食らいながらも、その明瞭な響きに「異国で不意に耳にした日本語」以上の何かを感じて、思わず背筋を正した。

1895年から1945年まで、つまりきっかり半世紀にわたって、台湾では日本による植民地統治が行われた。本書『パパイヤのある街』は、統治時代の後半、1930年以降に登場した、日本語による台湾近代文学の7作品を収めた短編集である。7人の作家は全員台湾人だ。

台湾初の女性ジャーナリスト楊千鶴

正直に言うと、私がこの本を読もうと思ったのは、作家のひとりが「楊千鶴」だったからである。楊千鶴(1921-2011)は、台湾の日本統治時代を舞台にした楊双子作の小説『台湾漫遊鉄道のふたり』に登場する王千鶴のモデルで、台湾初の女性ジャーナリストとして知られる。この作品は以前、書籍レビューでも紹介した。

楊の作品『花咲く季節』は、卒業を間近に控えた女学生たちの結婚観や、古い慣習と新時代の空気、不安や迷い、憧れや希望に揺れながら人生を模索する乙女の心の動きをみずみずしく描いた作品だ。彼女自身の母校で、当時の台湾で唯一の女子最高学府「台北女子高等学校」が舞台になっているという。その頃の台湾女性は、高い教育を受けても、卒業後は就職せずお見合いで結婚するのが一般的であったようだ。

『パパイヤのある街』収録『花咲く季節』より引用

一人の台湾のむすめとして

こんな疑問を持った主人公の恵英は、縁談を断り、親に内緒で新聞社に履歴書を送って就職する。彼女が疑問を持っていたのは、結婚についてだけではなかった。

『パパイヤのある街』収録『花咲く季節』より引用

主人公に王千鶴の姿が重なり、『台湾漫遊鉄道のふたり』の前日譚的な話として読んでしまえなくもない。また、楊自身の姿もそこに見えてくるようだ。

『台湾漫遊鉄道のふたり』の著者楊双子は、『花咲く季節』の世界を発展させた長編小説『花開時節』を2022年に発表しており、邦訳化を強く願う。

楊千鶴は、本書に収録されている7人の作家の紅一点だ。そういう意味で、『花咲く季節』は、かなり趣の異なる作品だと言える。他の収録作品をざっと紹介しよう。

日本統治期に台湾人作家が書いた日本語文学作品

本書の巻頭作品である呉濁流(1900 – 1976)の『自然にかえれ!』は、夏目漱石の『吾輩は猫である』を下敷きにしている。教師の家に飼われた猫が、吾輩でなく、我輩という一人称で語る苦悩の物語だ。

楊逵(1906 – 1985)の『新聞配達夫』は、日本の文学雑誌に初めて掲載された台湾作家の作品で、プロレタリア文学雑誌『文学評論』に懸賞応募し、第二席となった。東京で新聞配達をする台湾出身の主人公の眼から見た労働社会を描き、楊の実体験も反映している。

翁鬧の『夜明け前の恋物語』は、恋を切望した青年の熱い一人語りだ。翁は、東京・高円寺に住んで執筆活動をし、高円寺での彼の足跡を追った同名のドキュメンタリー映画も制作されている。

龍瑛宗(1911- 1999)の作品である表題作の『パパイヤのある街』は、南国台湾の景色が眼に浮かんでくるような肉感的な描写に引き込まれる。当時の台湾の慣習も細かく描かれ、友人の見合いの日、女性の家を訪れた主人公一行がお茶を飲み干した後、茶碗に折り畳んだピン札を入れるくだりも興味深かった。

呂赫若(1914 -1950)の『牛車』は、日本の植民地統治のなかで、貧しい牛車引きの一家が、近代化から取り残され、追い詰められていく話である。『新聞配達夫』と同じく、『文学評論』に掲載されたプロレタリア的作品だが、まったく展開が異なるのが対照的だ。

統治時代には台湾人を日本人に同化させる政策がとられた。その実質的な役割を担ったのが日本語を強化するための「国語」教育だった。戦局が厳しくなるほど高まっていった皇民化運動から、皇民文学が生まれ、周金波(1922 -1996)の『志願兵』はその代表作とされる。

『パパイヤのある街』収録『志願兵』より引用

これが当時の台湾の「状態」であり、日本語は人々のなかに巧みに入り込み、がっしりと捉えて離さなかった(本書の巻末には編者山口守氏作成の「台湾日本語文学関係年表」が収められており、一連の動きが俯瞰できる)。しかし1945年、日本の敗戦によってその状態は一変する。台湾は中華民国へ編入し、1987年に戒厳令が解かれて民主化するまで、文芸活動は抑圧されていくのだ。

の土地で耳にした日本語の響きが語るもの

以前、書評レビューを書いた朱和之の『南光』は、日本統治時代に活躍し、民主化後に再発見された写真家の鄧南光の生涯を描いた作品だった。今、台湾では、台湾のアイデンティティの一部を形成するものとして日本統治時代を積極的に探求する動きがあるという。そう考えてみると、日本で本書が出版されたことの意味は大きい。

台湾の民主化から40年、さまざまな台湾の小説が邦訳され、日本語で読める「状態」に今幸せを感じながら、初めて訪れた時に耳にした日本語の美しい響きの奥底にあった、心にずしりと響いた重みを忘れないでいたいと思う。


著者と作品の一覧

呉濁流(ご・だくりゅう)『自然にかえれ!』

楊逵(よう・き)『新聞配達夫』

翁鬧(おう・どう)『夜明け前の恋物語』

龍瑛宗(りゅう・えいそう)『パパイヤのある街』

呂赫若(ろ・かくじゃく)『牛車』

周金波(しゅう・きんは)『志願兵』

楊千鶴(よう・ちず)『花咲く季節』

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よしい あけみ

ライター、食文化研究家。日本で情報誌の編集を経て、豪州に留学。寮で大勢のインド人学生と暮らしたのがきっかけでインドに開眼。その後南インドで10年以上暮らす。物心ついたときから、なんでも食べて、なんでも読むことが信条。

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